『大日本維新史料 編年之部』 3編 5 安政5年4月11日~同月25日 p.665

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措くに所なき形勢にて、西城の事も、當今未決なれと、彼是と極論に及へは、却て決を促, 事竟へなは、辭職の外に策なしと歎息せられたる旨を、左内ゟ申上たり、, すの憂あれは、緩々の間に又施設の計もあるへけれは、太守公も、暫く時機を御見合せの, 方よろしかるへし、閣中方今諸侯の居合に心痛の折柄なれは、大廣間諸侯の建白に、此事, 抔を書加へられたらは、其効功あらん歟抔議せられて、土岐丹州は西城の事を建白し、, の御憂悶大方ならす、如何にもして備中殿を引留めはやとおほせと、此事はいつれに大老, 四月廿六日、昨日水野筑州の密啓、且岩瀬肥州の内告等、甚艱難の機會に及ひぬれは、公, を失して、外國の事務も敗亡に近し、加之海防懸之面々は、朋黨の論に落て、嫌疑猜忌身を, 西城の一件なとも、愈壅滯せる次第となり、加之伊賀殿も、大老に逢迎して、共ニ備中殿を, 壓す勢にて、備中殿の困窮甚しきに至りぬれは、自然備中殿罷免抔にては、有志一同應接, 寄たる事ありて、同敷廢立の黨に入れられて、諸有司も〓々たる有樣、肥州抔も夷の應接, 老の暴威以之外にて、備中殿を挫折せらるゝ事甚敷、備中殿も大ニ屏息せられたる故、, 激切に迫りて、當將軍家こふは、天下の維持無覺束由を抗言せるを、伊賀殿聞き咎めら, に説くより外に術なけれは、伊達遠江守殿は大老の縁者にて心安く、別伊豫入道殿は、, れて、其後は丹州は廢立を謀るといへる誣説に逢ひて、當時甚危殆なるよし、鵜戸部も似, 迎合シ正睦, 土岐頼旨ノ, 忠固直弼ニ, 苦境ニ陷ル, 建白, 安政五年四月二十五日, 六六五

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  • 迎合シ正睦
  • 土岐頼旨ノ
  • 忠固直弼ニ
  • 苦境ニ陷ル
  • 建白

  • 安政五年四月二十五日

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  • 六六五

注記 (22)

  • 1412,640,70,2234措くに所なき形勢にて、西城の事も、當今未決なれと、彼是と極論に及へは、却て決を促
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