『大日本古文書』 浅野家文書 1 浅野家文書 p.587

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三十枚をたまふ、, 室は松平加賀守吉徳か女、, 島にをいて卒す、年七十一、天隨道仙鶴皐院と號す、葬地長晟におなし、十, 二月七日奉書もて病をとはせたまふ、これ宗恆卒する事、いまた言上に, 十一日致任し、二十九日但馬守にあらたむ、天明七年十一月二十四日廣, 〓し、八年十一月二十八日御前にをいす元服し、御諱字をたまひ重晟と, 三年四月十八日はしめ之入國のいとまをたまふ、是時備前兼長の御刀, 石餘を領し、安藝國廣島城に住し、三月朔日安藝守にあらたむ、四月十五, 十一日封を襲、安藝國をよひ備後國のうちにをいす、四十二万六千五百, 時服三十領を置まひ、二月十一日家臣等にも物をたまふ、十三年二月二, 重晟寛保元年廣島に生む、寶暦七年二月十五日はしめて惇信院殿に拜, 稱し、三原正直の御刀を賜はり、從四位下上總介に敍任す、十三年二月二, を拜受す、五年正月十五日比叡山中堂諸堂社修補乃事を助〓しにより、, をよはさりしによりてなり、十日奏者番板倉左近將監勝政をもて、賻銀, 日はしめて入國のいと〓ををまひ、廣賀の御刀をたまふ、明和元年閏十, 附録, 五八八

  • 附録

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  • 五八八

注記 (17)

  • 1039,738,55,500三十枚をたまふ、
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  • 1840,745,75,2137三年四月十八日はしめ之入國のいとまをたまふ、是時備前兼長の御刀
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