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せたまひ、御獨吟乃連歌あり、仰戍うなて、家臣猪苗代兼如點を加へ〓てまつるによて、黄, 宣下御拜賀に扈從す、このとき政宗青山圖書助成重をシつ〓御料の御〓束をたヌは〓, 月二十八日、松平三河守忠直か家臣清水丹後景治罪あ〓てめしあつぎらる、十二月江戸, もの政宗か家臣支倉六右衞門常長等をよひ南蠻人あはせて百八十人餘、領國牡鹿郡月, ををくりか〓すにより、御具足御屏風等伐か乃國に〓まはる、九月十五日、忠勝の配下〓, におもむく乃途中にして、こふて久喜に放鷹するのところ、東照宮より逸物乃鷹二居, 藍を建立し、瑞巖寺と名すく、十一年三月三日、東照宮より、常陸國信太筑波河内三郡の, うちにをいて一万石をたまふ、十二月二十四日政宗か女上總介忠輝朝臣に婚す、こ〓に, 金一枚をたタふ、十年台徳院殿御上洛乃とき、したかひたてまつり、四月二十六日將軍, 宗か邸に渡御あな乃とを、點茶をしてまつる、石川玄蕃頭康長延壽院玄朔御相伴に候す, 御所より〓の勞を慰をら〓て、御書を下され、六月二十三日また台徳院殿より御書に, 四月駿府にいしり、十二日御數寄屋にをいて御茶を〓まふ、日野唯心院山名禪高その席, こ〓を着す、この年政宗先祖の冥福を修をんかために、松嶋の圓福寺をあらためて、大伽, におシむかんとしず江戸にい〓る乃とき、台徳院殿より守家の御刀を賜ひ、五月兩, を〓まふ、のち特旨もて御鷹を賜ふ事しは〳くな〓、十八年三月二十八日台徳院殿政, 八日封國地震し、海水溢り、農民等溺死するもの千七百八十餘人にをよへり、十七年十・一, 宗か邸に渡御あり、點茶を献し、長光乃御刀を賜はる、十二年二月八日東照宮政宗か郎, た乃はりて、向井將監忠勝とはつり、あら〓に船を造作し、江戸に在留せし南蠻人楚天呂, 家臣川島豐前景泰懇の仰をかうもる、五月九日入國の暇を賜ひ、御茶をたまふ、十月二十, し、下野國小山にいたるのところ、豐臣秀頼の使者和久半左衞門是成にあふ、是成秀頼乃, にめしくはへらる、江戸にか〓る乃ゝち、御藥二十五種をた又は〓、八月十五日、仰をう〓, 駿府にいたるのとを、樋口肩衝, 浦を出帆す、十九年越後國高田城造築の事をたす〓勤むへきの仰をかう〓り、三月彼地, に成せらる、十三年正月台徳院殿より松平乃御稱號をたまひ、陸奥守にあらたむ、この, とき來國光乃御刀をゑまふ、十五年東照宮の御氣色をうかゝひ〓そまつらんつたや, そへて御帷子を〓まふ、こ乃年大坂の亂おこるにより、めしに應して、十月十日仙臺を發, 預る家臣等十餘人、台徳院殿の御前に出、御刀及ひ時服を〓まふ、この年台徳院殿政, 居郎にいらせ〓ばふ、十六年西城御堀普請の事を助く、乃ちしは〳〵其地に渡御ありて, 附録, 乃御茶入を賜ふこ乃年台徳院殿また, 一名を山の井肩, 衝とい(, 五八四
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- 一名を山の井肩
- 衝とい(
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- 五八四
注記 (33)
- 1826,709,46,2120せたまひ、御獨吟乃連歌あり、仰戍うなて、家臣猪苗代兼如點を加へ〓てまつるによて、黄
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- 473,706,45,2117もの政宗か家臣支倉六右衞門常長等をよひ南蠻人あはせて百八十人餘、領國牡鹿郡月
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