『大日本古文書』 伊達家文書 10 伊達家文書之十 p.601

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十六日上總介にあらため、九月十四日得物三條吉家の刀、白玉文琳乃茶入、盆をそへそた, 十八日、村和罪かうぬるにより、をの所領をかたしたまふ、十六年八月二十五日致仕し、二, にワつちあゑふ、十二月十八日中將にすゝみ、二十八日從四位上にの不お、十二年十月二, 享保四年六月十六日、病おもきむねきこしめされ、奏者番高木主水正正陳をもつ〓これ, 伐〓つ〓けせたまふ、二十日卒す、年六十一、肯山全提大年寺と號す、仙〓の大年寺に葬る, てまつり、桂昌院御方に法印永徳筆の屏風一雙、御臺所に青磁口寄乃香爐をまいらす, もて大和柿を〓はふ、三年七月十二日成功を賞せら〓、御手つっら左文字乃御刀を〓, ひ、十三日家臣等にシ時服白銀等を〓まふ、八年七月六日、所領乃うち三万石弟左京村和, これ綱村の開基せしところなり、のち代々葬地とす、二十一日奏者番内藤丹波守政森を, 綱村議し〓こをやめ、かつその制度をはふき、子孫をしてしたかはしむ、, して賻銀五百枚をたまふ、陸奧守政宗よりこ乃かた、代々廟を建、殿號を稱すとい〓とも、, けつとめしにより、時服十領をたまふ、九月二十六日、先に途中にをいて家臣等岡八郎兵, 衞孝常と口倫に及ししところ、其はつらひよからさりしにより、逼塞せしめら〓、十月二, 二月十八日從五位下美作守そ叙任す、十二年七月二十五日、けきに麻布新堀の普請を助, 寛文元年生る、のち家臣伊達上野宗景か嗣となり、元祿八年七月六日、綱村の所領桃生郡, 保四年十二月十八日赦免あ〓、七年六月二十九日死す、年六十二、子孫家臣となお、, 初顯孝村任鶴千代織部將監上野左京美作守從五位下號定岳, 室は稻葉美濃守正則つ女、, のうちにをい志三万石の地をワつち〓まひ、二十五日はしめ〓常憲院殿に拜〓し、十, 十八日、綱村か願ひにより仙臺に蟄居をしめられ、その領知は宗家にか〓し〓すはお、享, 村和, はしめ家臣石川大和宗弘か嗣となり、乃ち伊達遠江守宗利つ養子となる、, 初基弘宗昭辨之助主馬紀伊守遠江守, はしめ家臣石川大和宗弘か嗣となり、乃ち伊達遠江守宗利つ養子となる、, 母は上におれし、, 附録, 六〇一

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  • 初基弘宗昭辨之助主馬紀伊守遠江守
  • はしめ家臣石川大和宗弘か嗣となり、乃ち伊達遠江守宗利つ養子となる、
  • 母は上におれし、

  • 附録

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  • 六〇一

注記 (27)

  • 1695,722,45,2119十六日上總介にあらため、九月十四日得物三條吉家の刀、白玉文琳乃茶入、盆をそへそた
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