『大日本古文書』 幕末外国関係文書 2 嘉永6年8月~同年9月 p.330

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て、汝等鑒にして、一夫も歸すへからすと言はゝ、渠畏縮して纜を解ん、一ツも, は、彼〓の患なり、壹岐對馬其他環海の國は、其主を國々へ御歸し有之、遠くは, 憤り、密に我か虚實を知り、其身東に赴かは西を掠め、我南ニ備へは渠北を擾, さん、或は近洋に在て、東西の漕路を梗をんも知へからさるなり、然共廻船遠, 心に感し、放還をしむ、大師船を牽ゐ來る事、又何の爲そ、今日命を下す後、速に, 纜を解歸帆をすんは、數千口の大砲を以て、汝か船を撃碎き、數十万の兵を以, 洋を渡らす、地方より港に取次に傳をは、迂行赴念の遲きのみ、交易に比すれ, 大砲を放ち拒かは、彈丸の小島といへとも、備有を知り、遽に上陸なさゝるへ, 放慢する事あらは、上陸の虜を悉く擒にし、人質になし留め置、兩三年の内飽, 以怨に報るの寛身の仁なり、且茲ニ一ツの大患あり、渠互市の行はれさるを, 八丈三宅大島等は、剛勇其任に勝たる官吏に警衞なさしめ、渠か來るを見は, し、相持する事數日の後、我か援兵を以て攘はん而已、孟子曰、七年之病に三年, の艾を求む、今日得すといへ共、貯へされは終身得す、今より士氣を養ひ、武備, 猛威を貯へ、其廩祿を重くし、其禮敬を厚くし、教るに廉耻を以てし、小過は宥, まて仁惠慈悲を加へ、渠を感服をしめ、後還すも一ツの計策なり、記ニ曰、惠を, 嚴ニスベ, ヒ武備ヲ, 士氣ヲ養, 嘉永六年八月, 三三〇

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  • 嚴ニスベ
  • ヒ武備ヲ
  • 士氣ヲ養

  • 嘉永六年八月

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  • 三三〇

注記 (20)

  • 1598,595,66,2272て、汝等鑒にして、一夫も歸すへからすと言はゝ、渠畏縮して纜を解ん、一ツも
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