『大日本古文書』 幕末外国関係文書 49 文久1年2月 p.401

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私はシーボルト地圖帳(一八五一年ライデン刊『日本帝國の海陸地圖帳』)の中にある諸地圖を尊重す, まい、蒸氣機關を動かし帆を固定しなければならなくなった。晝の三時に下關海峽(*)に近, る。とはいっても、これらの地圖は海圖ではなく、この意味ではやはり充分というには程遠く不滿足, それを午後六時に通り過ぎた。その後直ちに帆を張り蒸氣を止め、帆走し續けた。夜は暗か, それに從うことは無盆である。この地域のため私に知られた全ての地圖の中では最良のものとして、, なものである。その他にクリッパー艦には長崎から連れてこられた二人の日本人水先案内人がいた。, ったが、しかし航路にある島々は三から四マイル離れたところで發見されていった。頻繁に, 深海用探測鉛を投げ入れたが、水深は地圖に示されたそれとよく似ていることが判明した。, を通過し、マダラ島(*)の西端に向け船行し、, しかし、多くの場合、そこには日本名の代わりに英語の名称が載せられている。平戸海峽, 日本の陸地地圖。非常にクルーゼンシュテルンの地圖と似ていて、信頼できず、〓して航海にとって, (*)シーボルト地圖ではタトシマ、英國地圖ではコレイ, つまり二十二から四十五サージェンの間である。夜通し穩やかな最上帆部の風により帆走し, 續けた。風は現在の方位から〓繁に吹き寄せ驅り立てていた。三月一日の朝、風は去ってし, (二月三日), 地圖最良ナ, サレド右ハ, シーボルト, 海圖ニアラ, 汽走ニテ下, 關海峽二入, 馬渡島通過, ズ, リ, ル, 文久元年二月, 四〇一

割注

  • (二月三日)

頭注

  • 地圖最良ナ
  • サレド右ハ
  • シーボルト
  • 海圖ニアラ
  • 汽走ニテ下
  • 關海峽二入
  • 馬渡島通過

  • 文久元年二月

ノンブル

  • 四〇一

注記 (27)

  • 1654,711,52,2168私はシーボルト地圖帳(一八五一年ライデン刊『日本帝國の海陸地圖帳』)の中にある諸地圖を尊重す
  • 313,605,60,2268まい、蒸氣機關を動かし帆を固定しなければならなくなった。晝の三時に下關海峽(*)に近
  • 1531,716,52,2166る。とはいっても、これらの地圖は海圖ではなく、この意味ではやはり充分というには程遠く不滿足
  • 920,609,62,2263それを午後六時に通り過ぎた。その後直ちに帆を張り蒸氣を止め、帆走し續けた。夜は暗か
  • 1777,713,51,2136それに從うことは無盆である。この地域のため私に知られた全ての地圖の中では最良のものとして、
  • 1411,710,50,2101なものである。その他にクリッパー艦には長崎から連れてこられた二人の日本人水先案内人がいた。
  • 799,625,59,2246ったが、しかし航路にある島々は三から四マイル離れたところで發見されていった。頻繁に
  • 679,612,59,2233深海用探測鉛を投げ入れたが、水深は地圖に示されたそれとよく似ていることが判明した。
  • 1169,615,53,1113を通過し、マダラ島(*)の西端に向け船行し、
  • 1285,671,58,2205しかし、多くの場合、そこには日本名の代わりに英語の名称が載せられている。平戸海峽
  • 1898,713,51,2166日本の陸地地圖。非常にクルーゼンシュテルンの地圖と似ていて、信頼できず、〓して航海にとって
  • 1050,618,48,1171(*)シーボルト地圖ではタトシマ、英國地圖ではコレイ
  • 555,621,59,2251つまり二十二から四十五サージェンの間である。夜通し穩やかな最上帆部の風により帆走し
  • 434,607,62,2267續けた。風は現在の方位から〓繁に吹き寄せ驅り立てていた。三月一日の朝、風は去ってし
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