『大日本古文書』 幕末外国関係文書 49 文久1年2月 p.396

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間早く起こった。私は二艦の日誌からの拔萃を添付する。, 間を取り〓すべく努力した。後者については、水温その他についての細心の觀察にもかかわ, らず、その時まで氣づかなかったのである。今や、それは一晝夜に二十四~四十八マイルの, 現實より二十マイルも餘計に南方に位置づけられており、シーボルトの地圖(日本帝國圖、, ルーゼンシュテルンの地圖(後者の太平洋地圖帳は英國地圖の土臺として役立った)では、, 凪いだので、我々は蒸氣機關を始動させた。三時に我々は海峽の最も狹い地帶を通過した。, 四國と土佐侯國の南西端を形づくっている。この岬は我々の觀察に從えば、英國海軍省やク, 速度で我々を後方に引き〓していた。二十三日の夕方になってようやく我々は土佐岬(クル, 從って我々の航路は樣々な危險を回避できたし、長崎から同行させた水先案内人たちの指示, とも一致したので、我々は順風を利用しながら、夜間前進を繼續した。二十四日正午に風が, ーゼンシュテルンによる。シーボルトの地圖では足摺岬となっている)に接近した。それは, 一八四一年、地圖第一號)で與えられた位置に極めて近いものである。その後、この地圖に, 二十・二十二・二十三の三日間全てをもって、我々は嵐の期間と潮流(*)の結果失った空, そこでは幅が六から七マイルである。そして周防灘に入った。〓括して言えば、その西側に, 發見ス, 汽走トナル, 後退スルヲ, 過ス, シ地圖ノ精, 豐後水道通, 潮流二ヨリ, 足摺岬ヲ通, 確ナルヲ知, 過, 文久元年二月, 三九六

頭注

  • 發見ス
  • 汽走トナル
  • 後退スルヲ
  • 過ス
  • シ地圖ノ精
  • 豐後水道通
  • 潮流二ヨリ
  • 足摺岬ヲ通
  • 確ナルヲ知

  • 文久元年二月

ノンブル

  • 三九六

注記 (26)

  • 1771,604,56,1400間早く起こった。私は二艦の日誌からの拔萃を添付する。
  • 1530,605,58,2267間を取り〓すべく努力した。後者については、水温その他についての細心の觀察にもかかわ
  • 1409,612,56,2261らず、その時まで氣づかなかったのである。今や、それは一晝夜に二十四~四十八マイルの
  • 803,606,58,2231現實より二十マイルも餘計に南方に位置づけられており、シーボルトの地圖(日本帝國圖、
  • 924,622,58,2212ルーゼンシュテルンの地圖(後者の太平洋地圖帳は英國地圖の土臺として役立った)では、
  • 317,612,57,2232凪いだので、我々は蒸氣機關を始動させた。三時に我々は海峽の最も狹い地帶を通過した。
  • 1045,606,58,2264四國と土佐侯國の南西端を形づくっている。この岬は我々の觀察に從えば、英國海軍省やク
  • 1287,606,58,2263速度で我々を後方に引き〓していた。二十三日の夕方になってようやく我々は土佐岬(クル
  • 559,611,60,2269從って我々の航路は樣々な危險を回避できたし、長崎から同行させた水先案内人たちの指示
  • 438,615,59,2262とも一致したので、我々は順風を利用しながら、夜間前進を繼續した。二十四日正午に風が
  • 1167,611,57,2263ーゼンシュテルンによる。シーボルトの地圖では足摺岬となっている)に接近した。それは
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