Loading…
要素
頭注ノンブル
OCR テキスト
〓はなく。諸侯之抱を辭して。御料所之百姓たる〓。實に別段之。このもの別, たり。古助殿は本陣へ被參候。廣瀬求馬父子并孫は宿外に平服したあ。壹町, 段之取扱せすは。道を敬するの理に背けりと。則子并孫ニは。次之間ニあ逢, はかり過く。田の中に日田之百姓共。大勢平服しく居たわ。乘物之すたれを, ニ〓安泰に。御用濟之祈祷をなしたるよし。古助殿ゟも御申越且外にいさ, ゝか思ふ旨も有は。のくはなしたる之。豐後陣屋附之莊屋其外之もの共。大, 候た。同間ニ〓暫物語をなし。先生御寒むからむとて。縮緬紋附の羽織を。手, は。立派に箱をつくり。廣瀬求馬に箱書をさせて。八幡え納たれは之。此八幡, 主礼として參る。是は今般魯西亞人と對話之時用ひ候中啓。貳本之内。一本, 勢來りてく。わの行列をみむとて。往返三十里之所をたふ田代まて來れり, 麻上下一具ツゝ遣し。求馬は先生は當時之大儒之。願くは教を受度旨を申, も宜。行跡も宜候。老儒は。此求馬壹人なるへし。生國之外下ノ關迄も行たる, 甘三日雨六半時田代を出立をり。池田岩之丞手代共は。宿内へ出て送り, つから著せ遣し候。求馬來りたりとて。復太郎なと大に驚き召連候蘭學者, 箕作元甫共に。彼旅宿へ行て逢。其高徳に感し歸りたり。日田大原八幡之神, 啓ヲ日田, 用ヒシ中, 大原八幡, 應接ノ時, ニ奉納ス, 川路長崎日記之一, 七五
頭注
- 啓ヲ日田
- 用ヒシ中
- 大原八幡
- 應接ノ時
- ニ奉納ス
柱
- 川路長崎日記之一
ノンブル
- 七五
注記 (22)
- 1795,661,59,2223〓はなく。諸侯之抱を辭して。御料所之百姓たる〓。實に別段之。このもの別
- 392,661,58,2216たり。古助殿は本陣へ被參候。廣瀬求馬父子并孫は宿外に平服したあ。壹町
- 1679,658,59,2232段之取扱せすは。道を敬するの理に背けりと。則子并孫ニは。次之間ニあ逢
- 272,658,59,2218はかり過く。田の中に日田之百姓共。大勢平服しく居たわ。乘物之すたれを
- 860,670,56,2205ニ〓安泰に。御用濟之祈祷をなしたるよし。古助殿ゟも御申越且外にいさ
- 743,673,57,2208ゝか思ふ旨も有は。のくはなしたる之。豐後陣屋附之莊屋其外之もの共。大
- 1443,652,60,2233候た。同間ニ〓暫物語をなし。先生御寒むからむとて。縮緬紋附の羽織を。手
- 978,662,57,2220は。立派に箱をつくり。廣瀬求馬に箱書をさせて。八幡え納たれは之。此八幡
- 1094,658,57,2223主礼として參る。是は今般魯西亞人と對話之時用ひ候中啓。貳本之内。一本
- 628,655,54,2160勢來りてく。わの行列をみむとて。往返三十里之所をたふ田代まて來れり
- 1562,656,59,2227麻上下一具ツゝ遣し。求馬は先生は當時之大儒之。願くは教を受度旨を申
- 1914,662,63,2215も宜。行跡も宜候。老儒は。此求馬壹人なるへし。生國之外下ノ關迄も行たる
- 509,593,57,2285甘三日雨六半時田代を出立をり。池田岩之丞手代共は。宿内へ出て送り
- 1329,669,56,2215つから著せ遣し候。求馬來りたりとて。復太郎なと大に驚き召連候蘭學者
- 1211,656,58,2227箕作元甫共に。彼旅宿へ行て逢。其高徳に感し歸りたり。日田大原八幡之神
- 1061,304,39,169啓ヲ日田
- 1106,304,40,168用ヒシ中
- 1018,304,41,172大原八幡
- 1148,304,42,171應接ノ時
- 973,312,40,156ニ奉納ス
- 169,742,46,428川路長崎日記之一
- 172,2482,43,81七五
類似アイテム

『大日本史料』 12編 11 慶長十八年三月~同年九月 p.635

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 9 訳3下1638年08月-1639年01月 p.55

『大日本維新史料 編年之部』 2編 5 安政1年2月24日~同年3月5日 p.656

『大日本史料』 11編 別巻1 p.253

『大日本史料』 12編 36 元和六年雑載~元和七年正月 p.280

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 9 訳3下1638年08月-1639年01月 p.59

『大日本維新史料 編年之部』 2編 4 安政1年2月11日~同年2月23日 p.473

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 9 訳3下1638年08月-1639年01月 p.58