『大日本近世史料』 編脩地誌備用典籍解題 2 p.248

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世兵家者流の圖するところ、地理においてその盆うすきに似たり、, 間を略圖し、義經軍兵およひ平氏出陣の所在をしるし、源家は一格を下し、平家は三角, を攻るの圖にして、一ノ谷内裏ならひに鐵界山より三草・ヒヨトリコヘ・ヲノ原まての, 作るところか詳ならす、貝原か記と參考していよ〳〵その詳をしるへし、, あたることをくはしくしるし、またこの處にて古人の吟詠あるは湯治のこゝろえ・土産, 名物の品數・諸方への道程を載たり、按るに、この記後素軒かつくる所かまた泉必東か, 浪華人泉必東なるもの、驪山移在此といへる五大字を開卷に書す、寛延二年己巳浪華に, 明、つゞみか瀧・有明櫻なとよりゆふね山・ゆは山・あたこやま・藥師寺・湯場等をあ, つて止る、圖の卷尾に有馬山温泉の來由・湯槽の寸尺・名所舊跡・神社佛閣某の方位に, をもて辨知せしむ、三草より内裏にいたるまての間この道三里としるし、またヲノ原よ, 攝津國有馬勝景圖一帖, らはし、その餘近邊名所・古蹟・橋梁・名木悉くしるして、おちは山・むかひ山にいた, 刻するところにして、圖は橘守國なり、守國攝州江東人、後素軒と號す、この圖頗る鮮, りヒヨトリコへまての間此道三里、また京都よりヲノ原まて二日路としるす、すへて後, 寛延二年浪華, 勝景圖, ニ刻ス, 鮮明ナル有馬, 橘守國圖, 後世兵家者流, 貝原ガ記ト參, 考シテソノ詳, ノ圖スル所, ヲ知ルベシ, 編脩地誌備用典籍解題卷之六, 二四八

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  • 寛延二年浪華
  • 勝景圖
  • ニ刻ス
  • 鮮明ナル有馬
  • 橘守國圖
  • 後世兵家者流
  • 貝原ガ記ト參
  • 考シテソノ詳
  • ノ圖スル所
  • ヲ知ルベシ

  • 編脩地誌備用典籍解題卷之六

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  • 二四八

注記 (26)

  • 1317,708,60,1690世兵家者流の圖するところ、地理においてその盆うすきに似たり、
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