『大日本近世史料』 編脩地誌備用典籍解題 2 p.392

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しるし、また當國に木地あるものゝ姓名をあけ、所領の石高をその上に配録せり、, においてはとるへきものなきに似たり、, 南海濱に限り、北信濃國に限り、郡堺墨線を用ひ、官道朱線を用ひ、橢形雌黄を施して, 金屋傳之城圖一鋪寫, なる事しるへからす、按るに、この城不堅固に見ゆる故に敵よせかゝりては上より打立, れは此圖は本多中書此城をせめし時の圖にして、これ軍學者この圖を指示して弟子に傳, 前に成る處の古圖にして證を取るへきものあるへし、東駿河國に限り、西參河國に限り、, 授せるものにや、傳の字を添しなと全く兵家者流の手に出し事疑ひなし、いかにも地理, 日某寫、明和二乙酉年四月十七曰瀬名源貞雄再寫之としるせるを見れは、此圖は貞享以, 金屋城は榛原郡にあり、此圖城郭周廻の溝渠土手等を畫き、名所地名を録せす、その詳, 村名を辨し、一村の石高その下に注せり、圖傍に當國十二郡の高分およひ總括の石高を, え本多豐後守衆着處に六七騎討れて、殘りは味方の鎗の柄を下けて擧るよしを記す、さ, られ退くよし、又この口え本多中書衆着處に打立られて退出と記し、又圖傍にこの土井, 郡高分總括ノ, 本多忠勝金屋, 石高領主ノ姓, 高圖傍ニ十一, 圖中村毎ニ村, 名等ヲ注ス, 城ヲ攻メシ時, 兵家者流ニ出, 明和二年再寫, ノ圖, 編脩地誌備用典籍解題卷之八, 三九二

頭注

  • 郡高分總括ノ
  • 本多忠勝金屋
  • 石高領主ノ姓
  • 高圖傍ニ十一
  • 圖中村毎ニ村
  • 名等ヲ注ス
  • 城ヲ攻メシ時
  • 兵家者流ニ出
  • 明和二年再寫
  • ノ圖

  • 編脩地誌備用典籍解題卷之八

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  • 三九二

注記 (25)

  • 1300,720,57,2087しるし、また當國に木地あるものゝ姓名をあけ、所領の石高をその上に配録せり、
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