『維新史』 維新史 1 p.191

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學び、傍ら望楠軒學派の若林強齋の門人西依成齋とも深く交遊を重ねた。而し, て山崎闇齋の學説を以て堂上諸公卿を始め、地下以下に講述したが、門人は次第, 緒として特に注目に値する事件と云はざるを得ない。, 竹内式部, 俊逸・權少納言西洞院時名等は神道の奧儀傳授を許され、以上の三人並びに權大, 得た所を筆紙に託し、以て後世に遺すが如きを本意としなかつた。其の著書と, に増加して七八百人に達し、其の中に於いて權大納言徳大寺公城・權中納言坊城, 仲良に就いて崎門の學を修め、次いで仲良の師玉木葦齋に就いては垂加神道を, 資格を與へられたのであつた。斯くて式部の門人は公卿に於いて前後四十五, して世に傳はるもの、纔かに「奉公心得書」一卷(寶暦七年成)に過ぎないのは、蓋し之, 徳大寺實憲の家僕となり、實憲の薨後其の子公城に仕へた。其の間初めは松岡, 家の多きに達し、實に中堅階級の人物を殆んど網羅したのであつた。, 式部は單なる學究でなく、寧ろ實踐家ともいふべく、終生孜々として其の學び, 納言正親町三條公積・同烏丸光胤・左中將高野隆古・同勘解由小路資望等は代講の, は越後新潟の人、享保十三四年の頃、弱冠にして京に上り、權大納言, 敬, 持, 竹内式部, の神道講, 書, 奉公心得, 述, 第二章尊王思想の發達第六節寶暦明和事件, 一九一

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  • 竹内式部
  • の神道講
  • 奉公心得

  • 第二章尊王思想の發達第六節寶暦明和事件

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  • 一九一

注記 (24)

  • 1404,570,59,2272學び、傍ら望楠軒學派の若林強齋の門人西依成齋とも深く交遊を重ねた。而し
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  • 1853,574,57,1539緒として特に注目に値する事件と云はざるを得ない。
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