Loading…
要素
割注ノンブル
OCR テキスト
き、最上徳内, に擇捉島に於いて露人よりこの密告者の事を, 地に傳播した。是に先だち北邊の警報を憂慮したのは水戸藩主徳川光圀で、元, の著述であるが、其の序文の一節に松前氏を, 備へたるを告げた書面であつた。當時此の密告が我が國人に多大の注意を喚, 祿元年, ベンゴロウと云へる者の密告書で、露人が南下して千島列島に砦を築き、武器を, 新井白石の「蝦夷志」享保五年, に至, 二月藩船快風丸を蝦夷に遣して石狩地方を調査せしめた。次は, 蘭甲比丹が連名にて「琉球大島と申所え漂流仕候船より差出候横文字」七通を上, つて幕府は、北方問題につきて一大衝動を受けた。是年九月長崎在留の新舊和, 申した。大小通詞が之を和解した文意によればバロン、モリツ、アラアタル、ハン, 敍して「子孫世々據守其地而迄于今東顧之憂久絶矣」と記して居つて、識者は邊要, の地として蝦夷地を認識したのは此の頃からであつたが、明和八年, よりこれを聞, 起し、北方に留意して立言する者は、必ず此の警告文を引用して居る。安永三・四, 聞きて「蝦夷草紙」に之を記述し、近藤重藏, 年長崎にあつた京都の儒者平澤元〓, は、通詞松村君紀, は天明六年, は「邊要分界圖考」に其の和解を載せ, 西暦一七, 五介, 安之丞, 西暦一七, 翠崖, 七一年, 正齋, 旭山, 八六年, 二〇年, 守重, 西暦一七, 西暦一六, 八八年, 常, 矩, 第三編鎖國政策の破綻, 四五八
割注
- 西暦一七
- 五介
- 安之丞
- 翠崖
- 七一年
- 正齋
- 旭山
- 八六年
- 二〇年
- 守重
- 西暦一六
- 八八年
- 常
- 矩
柱
- 第三編鎖國政策の破綻
ノンブル
- 四五八
注記 (40)
- 368,586,54,312き、最上徳内
- 356,1534,60,1321に擇捉島に於いて露人よりこの密告者の事を
- 1725,593,62,2266地に傳播した。是に先だち北邊の警報を憂慮したのは水戸藩主徳川光圀で、元
- 1499,1603,59,1259の著述であるが、其の序文の一節に松前氏を
- 698,582,67,2275備へたるを告げた書面であつた。當時此の密告が我が國人に多大の注意を喚
- 1624,591,54,180祿元年
- 808,588,65,2271ベンゴロウと云へる者の密告書で、露人が南下して千島列島に砦を築き、武器を
- 1504,583,57,792新井白石の「蝦夷志」享保五年
- 1274,2754,51,106に至
- 1616,1000,61,1857二月藩船快風丸を蝦夷に遣して石狩地方を調査せしめた。次は
- 1036,584,63,2274蘭甲比丹が連名にて「琉球大島と申所え漂流仕候船より差出候横文字」七通を上
- 1154,592,63,2274つて幕府は、北方問題につきて一大衝動を受けた。是年九月長崎在留の新舊和
- 923,584,59,2267申した。大小通詞が之を和解した文意によればバロン、モリツ、アラアタル、ハン
- 1384,582,64,2287敍して「子孫世々據守其地而迄于今東顧之憂久絶矣」と記して居つて、識者は邊要
- 1269,593,62,1926の地として蝦夷地を認識したのは此の頃からであつたが、明和八年
- 476,2474,48,383よりこれを聞
- 588,583,67,2274起し、北方に留意して立言する者は、必ず此の警告文を引用して居る。安永三・四
- 242,582,59,1128聞きて「蝦夷草紙」に之を記述し、近藤重藏
- 479,589,59,1052年長崎にあつた京都の儒者平澤元〓
- 473,1799,58,496は、通詞松村君紀
- 364,994,54,311は天明六年
- 237,1869,57,983は「邊要分界圖考」に其の和解を載せ
- 391,1333,40,164西暦一七
- 506,1683,40,82五介
- 502,2322,41,122安之丞
- 1299,2552,40,165西暦一七
- 458,2319,41,81翠崖
- 1255,2555,38,122七一年
- 227,1744,42,77正齋
- 463,1679,39,82旭山
- 350,1337,37,120八六年
- 1489,1411,41,116二〇年
- 274,1743,37,78守重
- 1532,1408,41,164西暦一七
- 1653,798,40,166西暦一六
- 1611,803,38,115八八年
- 395,914,37,38常
- 349,915,42,37矩
- 1842,730,50,576第三編鎖國政策の破綻
- 1843,2372,40,118四五八







