『維新史』 維新史 2 p.388

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

調停の勞が最も多かつたのである。正弘の死は、齊昭と幕閣との連絡を殆んど, 家定の生母本壽院, 不評の中にあつた齊昭をして、遂に幕府と協力するに至らしめたのは、實に正弘, の切に親善ならんことを望み、藩士中根雪江をして上田藩家老岡部九郎兵衞を, の姉である關係を辿つて、幕府大奧方面の形勢を探る, 日、老中堀田正睦を訪れて始めて繼嗣の事を諮つたが、正睦は之に對して、此の問, して、一橋黨は形勢愈〻不利を加ふるに至つた。是に於いて慶永は忠固との關係, 全く絶たしめたのであつた。況んや正弘卒して幾ばくもなき安政四年九月に, 説かしめ、其の財政の窮乏に乘じ、利を以て忠固を誘はうと試みた。又齊裕をし, て若年寄本郷泰固の内意を徴せしめ、或は己が養父故齊善の侍女本立院が將軍, は、豫て齊昭が正弘を説いて罷免せしめた上田藩主松平忠固, 爾後慶永は愈〻公然と繼嗣問題に奔走するに至つた。即ち安政四年九月十六, 題は專ら台慮に依るべく、私に議すべき事には非ざるも、強ひて云へば尾州・水戸, が雪, ことにも奔走した。其の苦衷以て知るべく、水戸藩の側用人安島帶刀, と盛に策動を重ねたのも、此の時であつた。, 江及び一橋家小性平岡圓四郎, が老中に再任, 伊賀, 彌次郎, 信立, 於美津の方, 跡部氏, 中, 方, 守, 慶永の堀, 田正睦入, 説, 第五編朝幕の乖離, 三八八

割注

  • 伊賀
  • 彌次郎
  • 信立
  • 於美津の方
  • 跡部氏

頭注

  • 慶永の堀
  • 田正睦入

  • 第五編朝幕の乖離

ノンブル

  • 三八八

注記 (31)

  • 1603,591,72,2275調停の勞が最も多かつたのである。正弘の死は、齊昭と幕閣との連絡を殆んど
  • 816,582,59,520家定の生母本壽院
  • 1719,597,72,2271不評の中にあつた齊昭をして、遂に幕府と協力するに至らしめたのは、實に正弘
  • 1144,591,74,2280の切に親善ならんことを望み、藩士中根雪江をして上田藩家老岡部九郎兵衞を
  • 796,1340,68,1524の姉である關係を辿つて、幕府大奧方面の形勢を探る
  • 339,585,76,2277日、老中堀田正睦を訪れて始めて繼嗣の事を諮つたが、正睦は之に對して、此の問
  • 1259,596,73,2276して、一橋黨は形勢愈〻不利を加ふるに至つた。是に於いて慶永は忠固との關係
  • 1486,591,74,2285全く絶たしめたのであつた。況んや正弘卒して幾ばくもなき安政四年九月に
  • 1031,585,74,2284説かしめ、其の財政の窮乏に乘じ、利を以て忠固を誘はうと試みた。又齊裕をし
  • 914,590,77,2278て若年寄本郷泰固の内意を徴せしめ、或は己が養父故齊善の侍女本立院が將軍
  • 1378,593,68,1742は、豫て齊昭が正弘を説いて罷免せしめた上田藩主松平忠固
  • 452,647,75,2213爾後慶永は愈〻公然と繼嗣問題に奔走するに至つた。即ち安政四年九月十六
  • 226,582,72,2275題は專ら台慮に依るべく、私に議すべき事には非ざるも、強ひて云へば尾州・水戸
  • 678,2752,57,117が雪
  • 681,585,75,2004ことにも奔走した。其の苦衷以て知るべく、水戸藩の側用人安島帶刀
  • 565,1521,65,1229と盛に策動を重ねたのも、此の時であつた。
  • 581,577,58,863江及び一橋家小性平岡圓四郎
  • 1373,2488,55,383が老中に再任
  • 1402,2365,43,83伊賀
  • 708,2604,43,129彌次郎
  • 666,2603,43,129信立
  • 843,1111,43,210於美津の方
  • 800,1110,39,209跡部氏
  • 565,1466,35,36
  • 608,1465,38,41
  • 1361,2364,37,35
  • 478,345,39,164慶永の堀
  • 434,348,39,159田正睦入
  • 389,345,39,36
  • 1845,739,46,467第五編朝幕の乖離
  • 1834,2377,38,118三八八

類似アイテム