『維新史』 維新史 2 p.502

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ほ年少であるから、輔導の任に當る人が必要であると主張して、其の人に慶喜を, 尾州藩邸に田宮彌太郎を訪うた時、彌太郎が不時登城の善後策として何等かの, た。此の後策を承けて、福井藩士橋本左内, 方法を講ぜねばならぬと語つた態度を評して、更に憤激の色もなく、悠然として, 同じく一橋慶喜を將軍の繼嗣に推薦した徳川慶恕は、將軍の繼嗣發表の後は、, する知識のないのに乘じ、其の事務を專管する海防局を設け、松平慶永を總裁と, さして積極的な行動に出でなかつた。發表の翌二十六日福井藩士中根雪江が, は其の局の幕政を分離するを憂へて之を後日の評議に讓つた。, 二十四日書を松平慶永に寄せ、今日となつては繼嗣の發表を待つて後、繼嗣がな, が慶永に説き、慶永は伊達宗城に, したならば、又一橋黨恢復の緒を得るであらうと、徒目付平山謙二郎に言ひ送つ, 推すことも亦一策であらうと言つてゐる。又別策を建てて大老等が外國に關, 物語れり」と云つて、慶永に報告した。慶永は、「尾張殿の無爲、彌太郎が〓濶さそあ, 説いた末、宗城は六月晦日老中久世廣周を訪うて、此の局の新設を談じたが、廣周, らん」(昨夢紀事)と云つた。翌二十七日慶恕は書を徳川齊昭に致して、「御養君之, 綱紀, 景岳, 態度, 尾州藩の, 海防局設, 置の議, 第六編戊午の大獄と其の反動, 五〇二

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  • 綱紀
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  • 態度
  • 尾州藩の
  • 海防局設
  • 置の議

  • 第六編戊午の大獄と其の反動

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  • 五〇二

注記 (23)

  • 1602,574,70,2276ほ年少であるから、輔導の任に當る人が必要であると主張して、其の人に慶喜を
  • 558,563,76,2277尾州藩邸に田宮彌太郎を訪うた時、彌太郎が不時登城の善後策として何等かの
  • 1147,573,62,1193た。此の後策を承けて、福井藩士橋本左内
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  • 1250,576,74,2267したならば、又一橋黨恢復の緒を得るであらうと、徒目付平山謙二郎に言ひ送つ
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