Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
幕府の無爲無能を誹謗するの言は此の頃より漸く盛となり、同志と王政復古を, 門に入り、困窮の内に勉學に勵んだが、天保十二年二十六歳の時、豪商大橋淡雅, 學に歸したが本領とする所は訓詁註釋に非ずして、烈々たる憂國の赤誠を以て, に十一月には「元寇紀略」を草し、懷ひを元寇の往事に馳せて世人の覺醒に資した。, 尊王攘夷を説き、人心を鼓舞するにあつた。就中嘉永五年より六年にかけて執, 越えて安政二年の秋、江戸郊外小梅村に塾を移して、表面は隱栖生活に入つたが, 幕府に上書し、尋いで十月「隣疝臆議」を著して徳川齊昭に攘夷の決行を諷諫し、更, 明かにし、國體を闡明せるもので、愛國の至情は全卷に漲り、時人に深甚な衝動と, の嗣となつて宇都宮藩の士籍に列し、藩主戸田忠温に書を講ずる傍ら、日本橋橘, 筆せる「闢邪小言」は、儒學の立場より西洋學術の弊害を痛烈に論難し、華夷の別を, 感銘とを與へた。爾來外難の逼迫と共に、嘉永六年八月海防の急務なる所以を, 町に思誠塾を開いて子弟を薫陶した。其の學風は初め陽明學を宗とし、後朱子, 謀議するに至つた。戊午大獄に際しては、訥菴就縛の噂が世上に喧傳せられた, 程であつたが、辛くも其の難を免れ、櫻田の變以後は隱然志士の領袖と仰がれる, 良, 知, 闢邪小言, 第七編公武合體の氣運, 八一八
割注
- 良
- 知
頭注
- 闢邪小言
柱
- 第七編公武合體の氣運
ノンブル
- 八一八
注記 (19)
- 459,602,58,2279幕府の無爲無能を誹謗するの言は此の頃より漸く盛となり、同志と王政復古を
- 1725,587,57,2215門に入り、困窮の内に勉學に勵んだが、天保十二年二十六歳の時、豪商大橋淡雅
- 1379,592,58,2275學に歸したが本領とする所は訓詁註釋に非ずして、烈々たる憂國の赤誠を以て
- 688,609,60,2286に十一月には「元寇紀略」を草し、懷ひを元寇の往事に馳せて世人の覺醒に資した。
- 1263,593,59,2281尊王攘夷を説き、人心を鼓舞するにあつた。就中嘉永五年より六年にかけて執
- 574,604,59,2273越えて安政二年の秋、江戸郊外小梅村に塾を移して、表面は隱栖生活に入つたが
- 804,597,60,2281幕府に上書し、尋いで十月「隣疝臆議」を著して徳川齊昭に攘夷の決行を諷諫し、更
- 1034,597,58,2278明かにし、國體を闡明せるもので、愛國の至情は全卷に漲り、時人に深甚な衝動と
- 1609,597,58,2267の嗣となつて宇都宮藩の士籍に列し、藩主戸田忠温に書を講ずる傍ら、日本橋橘
- 1150,597,58,2276筆せる「闢邪小言」は、儒學の立場より西洋學術の弊害を痛烈に論難し、華夷の別を
- 919,600,59,2278感銘とを與へた。爾來外難の逼迫と共に、嘉永六年八月海防の急務なる所以を
- 1493,594,59,2272町に思誠塾を開いて子弟を薫陶した。其の學風は初め陽明學を宗とし、後朱子
- 343,606,59,2274謀議するに至つた。戊午大獄に際しては、訥菴就縛の噂が世上に喧傳せられた
- 231,610,57,2263程であつたが、辛くも其の難を免れ、櫻田の變以後は隱然志士の領袖と仰がれる
- 1717,2824,38,34良
- 1760,2824,38,35知
- 1157,340,41,168闢邪小言
- 1842,725,44,576第七編公武合體の氣運
- 1843,2374,40,116八一八
類似アイテム

『日本関係海外史料』 イエズス会日本書翰集 4 訳文編之1(上) 天文16年11月~19年10月 p.85

『大日本史料』 11編 別巻1 p.106

『日本関係海外史料』 イエズス会日本書翰集 4 訳文編之1(上) 天文16年11月~19年10月 p.110

『日本関係海外史料』 イエズス会日本書翰集 8 訳文編之3 弘冶1年11月~永禄2年11月 p.287

『維新史』 維新史 1 p.88

『日本関係海外史料』 イエズス会日本書翰集 6 訳文編之2(上) 天文21年12月~23年11月 p.236

『日本関係海外史料』 イエズス会日本書翰集 5 訳文編之1(下) 天文19年12月~21年11月 p.109

『日本関係海外史料』 イエズス会日本書翰集 5 訳文編之1(下) 天文19年12月~21年11月 p.134