『維新史』 維新史 2 p.907

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を正使に外國奉行兼神奈川奉行・箱館奉行村垣範正, 人數であつた。一行は米國政府の厚意による迎艦に搭じて渡航する事となり、, 從者となつて同行した者は、玉蟲誼・北條源藏等十四人で、合せては八十餘名の多, 統領への親書・條約批准書及び黒印の下知状を受け、愈〻萬里の波濤を越えて異域, 又別に我が國からも軍艦一隻を派遣する事となつた。, 料不足の爲に豫定を變更して、二月十四日, に使する事となつた。十八、日使節一行は乘艦し、同日横濱に到り、二十二日同港, を發して一路太平洋を東に航し、途中暴風雨に逢つて難航すること二十餘日、燃, 得十郎等の隨員及び佐賀・仙臺・長州・土州・熊本等の十藩の藩士にして使節以下の, 沖に投錨した。歳改つて萬延元年正月十六日、使節は登營して將軍より米國大, 派遣せられる事は之を以て嚆矢とし、幕府の此の擧は、實に破天荒の英斷といふ, 安政六年十二月二十日、米國迎艦ポーハタン號は神奈川に入港し、尋いで品川, 忠順, を副使に、目付小栗, べきであつた。使節の一行は、外國奉行支配調役塚原治左衞門, 通辯立石, を監察に命じた。思ふに、正式に一國を代表する使節が、歐米の地に, 布哇ホノルルに入港し, 時差に依り我國に, 淡路, 豐後守, 於いては十三日, 豐前, 又一、後, 但馬守, 昌義、後, 守, 守, 使節の發, 途, 第八編外交の推移, 九〇八

割注

  • 時差に依り我國に
  • 淡路
  • 豐後守
  • 於いては十三日
  • 豐前
  • 又一、後
  • 但馬守
  • 昌義、後

頭注

  • 使節の發

  • 第八編外交の推移

ノンブル

  • 九〇八

注記 (32)

  • 1688,697,57,1463を正使に外國奉行兼神奈川奉行・箱館奉行村垣範正
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  • 1113,555,66,2282從者となつて同行した者は、玉蟲誼・北條源藏等十四人で、合せては八十餘名の多
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  • 892,558,58,1559又別に我が國からも軍艦一隻を派遣する事となつた。
  • 204,554,60,1198料不足の爲に豫定を變更して、二月十四日
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