『維新史』 維新史 2 p.915

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開拓の事を考へたが、未だ實現を見るに至らなかつた。, として漂著するやうな事があつたが、移住する者なく、同島は姑く無人島として, 下田に到り、同三年閏四月同地を發して三宅・八丈の諸島を經て小笠原島に到り、, 諸島嶼を巡つて其の大小、産物等を調査してゐる。其の後我が國の漁民等が時, 放置されてゐたのであつた。既にして林子平は「三國通覽」を著して、此の島の海, 然るに諸外國船の太平洋航行が漸く盛なるにつれて、同島は又外國人の注意, 同島の開拓を命じてゐる。市左衞門等は、長崎に於いて造られた大船に搭じて, ら同島を賜つたので、小笠原の島名が生じたとの傳説に就いては、今文獻の徴す, を惹くに至つた。外國人は、我が國人が同島を無人島と稱するを訛傳してボニ, ン島と稱してゐた。文政十年, 防上の要衝である事を説いて識者の注意を惹き、又高野長英・渡邊峯山等も同島, 島に到り、之をピール島と命名し、其の他の島々にも名稱を附し、「一千八百二十七, 島であつた。信濃國深志の城主小笠原長時の曾孫貞頼が、文祿二年徳川家康か, 英國軍艦ブロッサム號艦長ビーチーは父, べきものがない。延寶二年, に、幕府は長崎の人島谷市左衞門等三十餘人に, 將軍家, 西暦一八, 綱時代, 二七年, 外國人の, 移住, 第八編外交の推移, 九一六

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  • 將軍家
  • 西暦一八
  • 綱時代
  • 二七年

頭注

  • 外國人の
  • 移住

  • 第八編外交の推移

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  • 九一六

注記 (24)

  • 721,582,67,1552開拓の事を考へたが、未だ實現を見るに至らなかつた。
  • 1061,584,72,2280として漂著するやうな事があつたが、移住する者なく、同島は姑く無人島として
  • 1292,583,72,2295下田に到り、同三年閏四月同地を發して三宅・八丈の諸島を經て小笠原島に到り、
  • 1176,583,73,2284諸島嶼を巡つて其の大小、産物等を調査してゐる。其の後我が國の漁民等が時
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