『維新史』 維新史 3 p.133

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して、其の疎隔軋轢は〓〻甚しきを加へることとなつたのであつた。, より之を朝廷に奏聞し奉つた。, るや、家茂は之を拜受した後、京都の形勢を始め、開鎖の議論、浪士鎭撫のこと等を, しめて、其の允許を得た。仍つて慶親は、直ちに之を定廣隨從の浦靱負に通達し, して書を議奏に上らしめ、勅使等西歸の後は、定廣獨力周旋に當るべき旨を請は, べ、幕府への周旋を依頼した。次いで二十四日登城して將軍家茂に勅諚を傳ふ, 宣するに決し、八月二十二日、先づ政事總裁職松平慶永を訪れて勅諚の大意を述, たので、朝廷は改めて朝旨の程を慶親に傳へしめられ、やがて定廣よりも慶親の, 此の時に當り、在京中の慶親は、勅使並びに久光の西歸が近きにあらんことを, て、萬遺漏なからしめた。會江戸の重徳より勅読改〓の件に關して内申し來つ, 聞き、斯くては世子奉勅の使命も或は蹉跌せんかと憂へ、八月十九日、中村九郎を, 江戸に於ける定廣は、既に朝裁を得たることとて、獨力を以て幕府に勅諚を傳, 尋ね、定廣は悉く之に答へた。越えて翌二十五日には、將軍後見職一橋慶喜を訪, 許に、既に改〓の勅諚を奉じて周旋に從事しつつある旨の報が屆いたので、慶親, 旨傳宣, 定廣の朝, の晝策, 京都に於, ける慶親, 第一章勅使大原重徳の東下第三節毛利定廣の朝旨傳〓, 毛利定廣の朝旨傳宣, 毛利定廣の, 一三三

頭注

  • 旨傳宣
  • 定廣の朝
  • の晝策
  • 京都に於
  • ける慶親

  • 第一章勅使大原重徳の東下第三節毛利定廣の朝旨傳〓
  • 毛利定廣の朝旨傳宣
  • 毛利定廣の

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  • 一三三

注記 (23)

  • 1894,557,72,1909して、其の疎隔軋轢は〓〻甚しきを加へることとなつたのであつた。
  • 957,545,57,888より之を朝廷に奏聞し奉つた。
  • 463,543,73,2307るや、家茂は之を拜受した後、京都の形勢を始め、開鎖の議論、浪士鎭撫のこと等を
  • 1430,551,69,2305しめて、其の允許を得た。仍つて慶親は、直ちに之を定廣隨從の浦靱負に通達し
  • 1548,552,67,2300して書を議奏に上らしめ、勅使等西歸の後は、定廣獨力周旋に當るべき旨を請は
  • 585,546,75,2299べ、幕府への周旋を依頼した。次いで二十四日登城して將軍家茂に勅諚を傳ふ
  • 701,537,73,2311宣するに決し、八月二十二日、先づ政事總裁職松平慶永を訪れて勅諚の大意を述
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