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二吉田東洋の思想, 文久年間に於ける土州藩の活動は、吉田東洋, て、二人は正しく對蹠的であつた。, 激〓して遠近より高知に集合騷擾し、遂に藩廳は是に屈して、左馬之進を嚴罰に, 付し、漸くにして紛爭が寢んだことがあつた。これ下士の實力の〓るべからざ, の旗〓を掲げて、愈〻藩要路と抗爭するに至つたのであつた。, 信は藩政改革の好機逸すべからずとなして、同月二十三日家老一同を城中に招, るに至つたことを如實に證せるものと云ふべきである。而して下士は徳川氏, に對しては、藩主又は上士程には恩義を感ぜざるが故に、幕末に至れば、尊王攘夷, 中心として展開せられた。共に革新派といふべきも、東洋は佐幕開國思想を以, 嘉永六年六月米艦來航の報が高知に達するや、恰も在國中なりし藩主山内豐, て上士階級を代表し、瑞山は尊王攘夷思想を以て下士階級を統率せる點に於い, 致し、左の諭書を發した。, と武市瑞山, との二人を, 元吉, 正秋, 半平太, 小楯, 藩政改革, 土州藩の, 第十編朝權の確立, 二一二
割注
- 元吉
- 正秋
- 半平太
- 小楯
頭注
- 藩政改革
- 土州藩の
柱
- 第十編朝權の確立
ノンブル
- 二一二
注記 (23)
- 1049,973,57,593二吉田東洋の思想
- 924,628,63,1275文久年間に於ける土州藩の活動は、吉田東洋
- 571,559,59,949て、二人は正しく對蹠的であつた。
- 1751,566,73,2294激〓して遠近より高知に集合騷擾し、遂に藩廳は是に屈して、左馬之進を嚴罰に
- 1632,564,70,2297付し、漸くにして紛爭が寢んだことがあつた。これ下士の實力の〓るべからざ
- 1279,568,63,1696の旗〓を掲げて、愈〻藩要路と抗爭するに至つたのであつた。
- 319,554,73,2303信は藩政改革の好機逸すべからずとなして、同月二十三日家老一同を城中に招
- 1512,568,68,2294るに至つたことを如實に證せるものと云ふべきである。而して下士は徳川氏
- 1392,563,69,2306に對しては、藩主又は上士程には恩義を感ぜざるが故に、幕末に至れば、尊王攘夷
- 801,556,71,2304中心として展開せられた。共に革新派といふべきも、東洋は佐幕開國思想を以
- 439,618,72,2244嘉永六年六月米艦來航の報が高知に達するや、恰も在國中なりし藩主山内豐
- 680,559,71,2296て上士階級を代表し、瑞山は尊王攘夷思想を以て下士階級を統率せる點に於い
- 219,555,60,677致し、左の諭書を發した。
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- 1883,716,45,475第十編朝權の確立
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