『維新史』 維新史 3 p.212

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二吉田東洋の思想, 文久年間に於ける土州藩の活動は、吉田東洋, て、二人は正しく對蹠的であつた。, 激〓して遠近より高知に集合騷擾し、遂に藩廳は是に屈して、左馬之進を嚴罰に, 付し、漸くにして紛爭が寢んだことがあつた。これ下士の實力の〓るべからざ, の旗〓を掲げて、愈〻藩要路と抗爭するに至つたのであつた。, 信は藩政改革の好機逸すべからずとなして、同月二十三日家老一同を城中に招, るに至つたことを如實に證せるものと云ふべきである。而して下士は徳川氏, に對しては、藩主又は上士程には恩義を感ぜざるが故に、幕末に至れば、尊王攘夷, 中心として展開せられた。共に革新派といふべきも、東洋は佐幕開國思想を以, 嘉永六年六月米艦來航の報が高知に達するや、恰も在國中なりし藩主山内豐, て上士階級を代表し、瑞山は尊王攘夷思想を以て下士階級を統率せる點に於い, 致し、左の諭書を發した。, と武市瑞山, との二人を, 元吉, 正秋, 半平太, 小楯, 藩政改革, 土州藩の, 第十編朝權の確立, 二一二

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  • 元吉
  • 正秋
  • 半平太
  • 小楯

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  • 藩政改革
  • 土州藩の

  • 第十編朝權の確立

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  • 二一二

注記 (23)

  • 1049,973,57,593二吉田東洋の思想
  • 924,628,63,1275文久年間に於ける土州藩の活動は、吉田東洋
  • 571,559,59,949て、二人は正しく對蹠的であつた。
  • 1751,566,73,2294激〓して遠近より高知に集合騷擾し、遂に藩廳は是に屈して、左馬之進を嚴罰に
  • 1632,564,70,2297付し、漸くにして紛爭が寢んだことがあつた。これ下士の實力の〓るべからざ
  • 1279,568,63,1696の旗〓を掲げて、愈〻藩要路と抗爭するに至つたのであつた。
  • 319,554,73,2303信は藩政改革の好機逸すべからずとなして、同月二十三日家老一同を城中に招
  • 1512,568,68,2294るに至つたことを如實に證せるものと云ふべきである。而して下士は徳川氏
  • 1392,563,69,2306に對しては、藩主又は上士程には恩義を感ぜざるが故に、幕末に至れば、尊王攘夷
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