『維新史』 維新史 3 p.236

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三武市瑞山の王政復古策, ととなつたのである。, が之に任ぜられたが、瑞山と收二郎とは他に職務なかりしを以て專ら之に當り、, 郎右衞門・小原與一郎・谷守部・五十嵐文吉・丁野左右助・武市瑞山・平井收二郎の七人, 御旨趣有之候處、於大樹家モ今七月朔日叡旨御請被申上、御滿足之御事ニ候。, 御事ニ候得共、於土州モ同樣爲國家抽丹誠周旋之儀、御内々御依頼被遊度御沙, 藩主豐範の入京により、瑞山等の努力は報いられ、其の一藩勤王の方策も漸く, 緒に就くこととなつた。即ち閏八月十四日には、他藩應接掛が設けられ、小南五, 然ル上ハ早速事實不被行候テハ無詮儀、折角之被仰出、於關東モ御受之筋難立, 候間、右叡念彌以速ニ被行候樣被遊度思召候。就テハ薩州長州專周旋叡感之, 仍つて豐範は朝命を奉じ、洛西妙心寺塔頭大通院を本陣として、暫く滯京するこ, 諸藩の志士と盛に往復して活躍する所があつた。瑞山の生涯に於いて、活躍最, 汰ニ候事。, ひニ候事。(公純公記, 他藩應接, 掛の設置, 第十編朝權の確立, 二三六

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  • 他藩應接
  • 掛の設置

  • 第十編朝權の確立

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  • 二三六

注記 (18)

  • 809,984,58,806三武市瑞山の王政復古策
  • 1059,564,53,608ととなつたのである。
  • 321,560,70,2322が之に任ぜられたが、瑞山と收二郎とは他に職務なかりしを以て專ら之に當り、
  • 439,558,70,2312郎右衞門・小原與一郎・谷守部・五十嵐文吉・丁野左右助・武市瑞山・平井收二郎の七人
  • 1745,644,68,2184御旨趣有之候處、於大樹家モ今七月朔日叡旨御請被申上、御滿足之御事ニ候。
  • 1401,633,68,2237御事ニ候得共、於土州モ同樣爲國家抽丹誠周旋之儀、御内々御依頼被遊度御沙
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  • 1887,723,47,478第十編朝權の確立
  • 1880,2384,43,120二三六

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