『維新史』 維新史 3 p.406

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拜辭のことを上書し、九日には慶永が政事總裁職辭退の内願書を老中に提出し, た。其の文中には、今日迄は一橋慶喜と申談じ、只管に勅旨の遵奉に勤め來つた, が、幕府は容易に之を許さなかつたので、聽許を待たないで二十一日京都を退き、, 之趣ニハ候得共、總裁之職掌故所勞相扶出立可致、歸府被仰出候事」(續再夢紀事)と, のであるが、素々不肖の身であつて、兎角に公武一和のことが徹底しない。「此儘, 達せられた。慶永は頗る進退に窮し、幕府に迫つて速かに辭職の聞屆を請うた, 政事總裁職の中一人歸府すべしと幕府に達せられ、更に十四日には「春嶽儀所勞, 途を失ひ、危急之御時節迚も相勤マリ不申候間、速ニ御役御免被成下候樣、伏而奉, 職を辭せられる外に道がないであらう。慶永に於いても重職を穢すべきでな, ニ而は下生民之塗炭を救ひ、上可奉安宸襟見込難相立恐懼至極仕、更ニ奉仕之目, 願上候」(續再夢紀事)と認めてゐる。然るに三月十二日に、朝廷は將軍後見職又は, いから、速かに職を辭する覺悟であると述べた。而して五日には家茂に將軍職, 將軍家茂を大津に迎へ、時局の收拾が頗る困難であることを説き、此の上は將軍, せしめることを幕府に命ぜられたが、政事總裁職松平慶永は是より先三月三日, 第一章尊攘運動の極盛第三節攘夷期日の決定, 四〇七

  • 第一章尊攘運動の極盛第三節攘夷期日の決定

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  • 四〇七

注記 (16)

  • 1403,553,59,2303拜辭のことを上書し、九日には慶永が政事總裁職辭退の内願書を老中に提出し
  • 1286,558,58,2297た。其の文中には、今日迄は一橋慶喜と申談じ、只管に勅旨の遵奉に勤め來つた
  • 331,554,61,2311が、幕府は容易に之を許さなかつたので、聽許を待たないで二十一日京都を退き、
  • 574,553,58,2300之趣ニハ候得共、總裁之職掌故所勞相扶出立可致、歸府被仰出候事」(續再夢紀事)と
  • 1168,558,58,2293のであるが、素々不肖の身であつて、兎角に公武一和のことが徹底しない。「此儘
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  • 1641,553,60,2298職を辭せられる外に道がないであらう。慶永に於いても重職を穢すべきでな
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  • 816,553,59,2297願上候」(續再夢紀事)と認めてゐる。然るに三月十二日に、朝廷は將軍後見職又は
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  • 1760,551,60,2304將軍家茂を大津に迎へ、時局の收拾が頗る困難であることを説き、此の上は將軍
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