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拜辭のことを上書し、九日には慶永が政事總裁職辭退の内願書を老中に提出し, た。其の文中には、今日迄は一橋慶喜と申談じ、只管に勅旨の遵奉に勤め來つた, が、幕府は容易に之を許さなかつたので、聽許を待たないで二十一日京都を退き、, 之趣ニハ候得共、總裁之職掌故所勞相扶出立可致、歸府被仰出候事」(續再夢紀事)と, のであるが、素々不肖の身であつて、兎角に公武一和のことが徹底しない。「此儘, 達せられた。慶永は頗る進退に窮し、幕府に迫つて速かに辭職の聞屆を請うた, 政事總裁職の中一人歸府すべしと幕府に達せられ、更に十四日には「春嶽儀所勞, 途を失ひ、危急之御時節迚も相勤マリ不申候間、速ニ御役御免被成下候樣、伏而奉, 職を辭せられる外に道がないであらう。慶永に於いても重職を穢すべきでな, ニ而は下生民之塗炭を救ひ、上可奉安宸襟見込難相立恐懼至極仕、更ニ奉仕之目, 願上候」(續再夢紀事)と認めてゐる。然るに三月十二日に、朝廷は將軍後見職又は, いから、速かに職を辭する覺悟であると述べた。而して五日には家茂に將軍職, 將軍家茂を大津に迎へ、時局の收拾が頗る困難であることを説き、此の上は將軍, せしめることを幕府に命ぜられたが、政事總裁職松平慶永は是より先三月三日, 第一章尊攘運動の極盛第三節攘夷期日の決定, 四〇七
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- 第一章尊攘運動の極盛第三節攘夷期日の決定
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- 四〇七
注記 (16)
- 1403,553,59,2303拜辭のことを上書し、九日には慶永が政事總裁職辭退の内願書を老中に提出し
- 1286,558,58,2297た。其の文中には、今日迄は一橋慶喜と申談じ、只管に勅旨の遵奉に勤め來つた
- 331,554,61,2311が、幕府は容易に之を許さなかつたので、聽許を待たないで二十一日京都を退き、
- 574,553,58,2300之趣ニハ候得共、總裁之職掌故所勞相扶出立可致、歸府被仰出候事」(續再夢紀事)と
- 1168,558,58,2293のであるが、素々不肖の身であつて、兎角に公武一和のことが徹底しない。「此儘
- 455,548,60,2309達せられた。慶永は頗る進退に窮し、幕府に迫つて速かに辭職の聞屆を請うた
- 698,554,59,2301政事總裁職の中一人歸府すべしと幕府に達せられ、更に十四日には「春嶽儀所勞
- 932,550,59,2317途を失ひ、危急之御時節迚も相勤マリ不申候間、速ニ御役御免被成下候樣、伏而奉
- 1641,553,60,2298職を辭せられる外に道がないであらう。慶永に於いても重職を穢すべきでな
- 1052,565,60,2289ニ而は下生民之塗炭を救ひ、上可奉安宸襟見込難相立恐懼至極仕、更ニ奉仕之目
- 816,553,59,2297願上候」(續再夢紀事)と認めてゐる。然るに三月十二日に、朝廷は將軍後見職又は
- 1523,561,60,2294いから、速かに職を辭する覺悟であると述べた。而して五日には家茂に將軍職
- 1760,551,60,2304將軍家茂を大津に迎へ、時局の收拾が頗る困難であることを説き、此の上は將軍
- 1879,554,59,2293せしめることを幕府に命ぜられたが、政事總裁職松平慶永は是より先三月三日
- 221,704,52,1257第一章尊攘運動の極盛第三節攘夷期日の決定
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