『維新史』 維新史 3 p.581

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老中格小笠原長行の率兵上京等の、京師の容易, との褒詞を賜つた。翌月五日忠光は自邸に歸り、家に在つて謹愼の日を送つた, に當ると共に、諸方尊攘の志士と往來して、窃かに風雲を窺つてゐたのである。, 深く決する所があり、祕かに京都を〓して長州藩に奔り、同月晦日には辭官及び, 赤心報國厚志之段叡感不斜候。彌忠誠相勵、猶以萬端精々可有盡力御沙汰候, 位記返上の請が允された。時に石清水社行幸の事が定まつてゐたが、忠光等が, 行幸の途上、鳳輦を擁しようとする計畫があるとの風説が飛んだ事は、既に述べ, が、眞木和泉久坂玄瑞・寺島忠三郎・吉村寅太郎等の志士は、交來訪して時事を談じ, 寄人に任ぜられた。以て其の偉才たるを推察するに難くない。同年三月、心中, ならぬ報を得るに及んで、忠光は六月八日京都に歸り、木屋町の長州藩邸に入つ, た。尋いで長州藩を通じて、, と變名して、長州藩に於いて自ら攘夷實行の擧, やがて姉小路公知の暗殺, 事。, た所である。忠光は森俊齋, (忠能卿記), 森秀齋, 事。(忠能卿記, も記す, 秀齋と, 事は五月, 二十日, 第十一編尊攘運動の展開, 五八二

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  • も記す
  • 秀齋と
  • 事は五月
  • 二十日

  • 第十一編尊攘運動の展開

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  • 五八二

注記 (24)

  • 1023,1509,69,1347老中格小笠原長行の率兵上京等の、京師の容易
  • 292,545,84,2308との褒詞を賜つた。翌月五日忠光は自邸に歸り、家に在つて謹愼の日を送つた
  • 1144,562,80,2250に當ると共に、諸方尊攘の志士と往來して、窃かに風雲を窺つてゐたのである。
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  • 533,614,85,2242赤心報國厚志之段叡感不斜候。彌忠誠相勵、猶以萬端精々可有盡力御沙汰候
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  • 1375,558,89,2299行幸の途上、鳳輦を擁しようとする計畫があるとの風説が飛んだ事は、既に述べ
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  • 1867,730,52,644第十一編尊攘運動の展開
  • 1851,2373,43,120五八二

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