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爲であるとした。, 加り, に屯してゐる時、國司信濃及び盆田右衞門介が兵を率ゐて上坂した。, と記し、國司信濃東上の趣意は曩に上坂した眞木和泉等の諸隊を鎭撫せしめる, と記し、何處までも願意を達せんとの意氣込を示してゐる。, の陣營に於ける和泉玄瑞及び又兵衞等は會議の結果、早く世子定廣の上京が必, 朝廷及び幕府に對し、國司信濃東上の趣旨を上申せしめた。其の文中には、, の上京を促した。又一方福原越後の隊及び和泉・玄瑞等の諸隊が、伏見・山崎の邊, 要であるとなして、中村圓太及び徳山藩士渡邊新三郎を長州に下向せしめ、世子, 豫て上京の命を受けてゐた國司信濃は六月二十三日東上の途に就いたが、慶, 親は曩に福原越後に授けたと同樣の軍令状を授けた。而して中村九郎をして, かく長藩の軍勢等が來著し、京都市中の戒嚴が日に加はり來るのを見て、山崎, 此度諸所屯戌之内士分輕卒農商其外凡六七百人へ、來寓浪士之内百人計り相, に付、鎭靜方之儀追々信濃より可申上候。(忠正公一代編年史, 國元立去申候。早速爲鎭靜家老國司信濃と申者え人數相添差登申候, 略, 中, 國司信濃, の出發, 第一章禁門の變第三節長州藩三家老等の上坂嘆訴, 四七
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- 略
- 中
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- 國司信濃
- の出發
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- 第一章禁門の變第三節長州藩三家老等の上坂嘆訴
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- 四七
注記 (21)
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