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あらうと述べた。, 門介は翌六日夕世子定廣の先鋒として三田尻を解纜して、上坂の途に就き、十三, 幕府に上つて、我等は亡命者の鎭撫に當つてゐるが、彼等の願意は長州藩上下と, る如き場合あれば、務めて恭順の態度を以て辯解をなすべきも、若し番卒輩が承, 知しない時は、押して通過する外に途がない。若し又其の節砲撃を加へられる, 昏山崎に著し、伏見より來た福原越後と山崎に會して軍議を開き、書を朝廷及び, 其の一節に、萬一上坂の節大坂川口・淀川筋或は伏見の番所に於いて抑留せられ, 全く同樣であるから、其の願意を御採用なき限りは、容易に歸國を承服しないで, 一隊を率ゐて西宮, してゐるので、鎭撫のため更に右衞門介を藩地より上坂せしめたと屆出でお, が如きことがあれば、之に應じて決戰を敢てするの覺悟であると述べた。右衞, 國司信濃は七月八日早曉大坂に著した。同行した遊撃軍總督兒玉小民部は, 日著坂した。大坂留守居北條瀬兵衞は、幕吏に對し、亡〓命者の人數が追々に増加, 盆田右衞門介は七月五日山口に於いて慶親に〓し、上坂後の覺悟を披歴した。, に上陸し、山崎に直行した。信濃は淀川を遡つて九日黄, 攝津武, 庫郡, 山崎に至, 盆田有衞, 國司信濃, 門介の上, 京, 第十三編禁門の變及び第一囘征長の役, 四八
割注
- 攝津武
- 庫郡
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- 山崎に至
- 盆田有衞
- 國司信濃
- 門介の上
- 京
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- 第十三編禁門の變及び第一囘征長の役
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- 四八
注記 (24)
- 1156,586,54,464あらうと述べた。
- 451,582,61,2274門介は翌六日夕世子定廣の先鋒として三田尻を解纜して、上坂の途に就き、十三
- 1383,581,57,2281幕府に上つて、我等は亡命者の鎭撫に當つてゐるが、彼等の願意は長州藩上下と
- 804,587,59,2273る如き場合あれば、務めて恭順の態度を以て辯解をなすべきも、若し番卒輩が承
- 683,582,59,2274知しない時は、押して通過する外に途がない。若し又其の節砲撃を加へられる
- 1497,583,58,2278昏山崎に著し、伏見より來た福原越後と山崎に會して軍議を開き、書を朝廷及び
- 920,581,59,2276其の一節に、萬一上坂の節大坂川口・淀川筋或は伏見の番所に於いて抑留せられ
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