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川家康以來の功績と靜寛院宮, にあつた。尋いで二十六日、具視は一書を慶永に送つて、, 々周旋之儀、後難なかるへし。乍併素より廟議と申儀には無之、臣一己之見, 偶〻具視は、前橋藩主松平直克, と云ひ、慶永の盡力を求めた。慶永は具視の内意を確め得て大いに喜び、此の, 込之儘申進候迄に候也。, 家名存續を圖つてゐるとの内報を得た。是に於いて具視は、正月二十三日松, 其の趣旨は、若し慶永の盡力に依つて、慶喜が克く謝罪の誠を表すに至れば、徳, 樣有之候はゝ、豈血食之事懸念有之間敷歟。聊見込之旨も有之候間、足下内, とを悟つてゐた。, が慶喜に對して謝罪を勸め、以て徳川家の, 平慶永に對して密かに徳川家處分に關する自己の内意を洩らしたのである。, の御縁故とに鑑みて、之を寛典に, 宗家御苦心之條、令推量候。若條理上におゐて齟齬する事なく、其道相立候, 處して徳川家の家名を存續せしめられるやう周旋に努めるであらうと云ふ, 今度徳川慶喜進退、實に不可言次第、百事去候儀には候得共、尚今日に至り、爲, 込之儘申進候迄に候也。(戊辰日記, (戊辰日記), 和宮親子内親王、十, 四代將軍家茂御臺所, 大和, 守, 第二章江戸開城第二節徳川家救解運動, 一八五
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- 和宮親子内親王、十
- 四代將軍家茂御臺所
- 大和
- 守
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- 第二章江戸開城第二節徳川家救解運動
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- 一八五
注記 (24)
- 1277,518,58,906川家康以來の功績と靜寛院宮
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