『維新史』 維新史 5 p.615

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塚本桓甫, 議を容れるに決し、同年十月二日左の布告を發した。, る御親〓に際して、供奉の參議佐々木高行が「各藩の兵隊ハ英・佛・蘭式モ有之、軍, て、服裝また區々たるを免れなかつたことは、此の年四月十七日、駒場野に於け, て渡歐の途に上り、歐洲諸國に於ける文運の進歩、就中兵制整備の實状を詳細, ・田邊太一等を教官に任じたが、其の聲, 記)と記してゐることに依つても窺ひ知られる。是に於いて政府は有朋の建, 九月兵部省の所管となり、尋いで陸軍兵學寮に合併せられたのである。, 兵式を一定するの議を建言した。當時諸藩の操練には、英・佛・蘭の諸式があつ, ぜられ、見聞の結果に基いて鋭意兵制改革の衝に當ることとなり、先づ諸藩の, に調査し、米國を經由して翌三年八月歸朝した。有朋は直ちに兵部少輔に任, 裝モ思ヒ々々ニテ一樣ナラズ。又供奉ノ官員モ衣服樣々ナリ」(佐々木高行日, 望を聞いて諸國より集り來る士は甚だ多かつた。而して沼津兵學校は四年, 是より先明治二年三月、長州藩士山縣有朋・薩州藩士西郷從道は官命を帶び, ・赤松大三郎, 兵制之儀ハ、皇國一般之法式可被爲立候得共、今般常備兵員被定候ニ付テハ、, 大築保太郎, 良, 志, 尚, 則, 毅, 明, 山縣有朋, の兵制改, 革, 第二十一編内治外交の刷新, 六一八

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  • 山縣有朋
  • の兵制改

  • 第二十一編内治外交の刷新

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  • 六一八

注記 (28)

  • 1735,552,60,260塚本桓甫
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  • 449,516,86,2325記)と記してゐることに依つても窺ひ知られる。是に於いて政府は有朋の建
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