『保古飛呂比』 保古飛呂比 2 元治1年~慶応3年 p.325

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る、登坂聊か惡し、道幅よし、坂を下り立石〓二里、夕方立石著、萬屋正吉に宿す、, の臣吉弘嘉兵衞とて大力士の墓あり、此處を過き、龜川を經て、コマガ坂を越へ、小浦に人足を次き、, 屋に休息、温泉に入り、夫より人足を雇ひ出足、石垣原に昔時大友・黒田兩家の古戰場あり、大友氏, 頭成に午飯、壹朱兩替七百八文替、内ヒカ十九文とぐセ錢二文拂ひ、夫より金越峠一里登り、一里下, 致し呉れ候事、, 一九月十六日、曇、嵯峨關より別府〓海上十里と云ふ、小舟にて昨夜出帆、今未明別府に著し、若木, 立石を發し三里來り、此道中坂あり、宇佐八幡宮へ參拜して午飯, 州人を數多打取と云ふ、如何哉、宇佐より二里、, 途中、小倉藩河野主殿上坂するに逢ひたれ共、知る人に無之、其從者の咄に、九月九日朝掛ケに、長, 一別府より小浦〓三里, 道路よし、此中、小坂あり、犬丸より中津へ二里、同所城下鶴屋惣兵衞方に宿す、, 一中用金へ壹兩出す、, 一同十七日、曇、, 一小浦より立石〓四里, 一肴料六十分一御初穂壹朱, 四日市に人足を次き、同所より犬丸へ二里、, す、, 卷十五慶應二年, 居あり、五千石と云ふ, 立石は木下内匠領、土, 川あり, 此間、驛關, 卷十五慶應二年, 三八

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  • 居あり、五千石と云ふ
  • 立石は木下内匠領、土
  • 川あり
  • 此間、驛關

  • 卷十五慶應二年

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  • 三八

注記 (24)

  • 1132,478,61,2015る、登坂聊か惡し、道幅よし、坂を下り立石〓二里、夕方立石著、萬屋正吉に宿す、
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