『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 18 訳7 1642年10月-1643年09月 p.60

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の前面に位置する、)が本船から凡そ一マイル, ァハテル嶋過した。, ンデ・ブーイ號であることを知り、大いに驚いた。, にギアング河の前面に位置するフラッカキ嶋, 半の地點に在った。そして、その先に三隻の帆影を認めた。正午近く、これに追いついたが、, の口頭での報告により以下のことを知った。即ち、去る三月末日から四月一, 同月二十五日凪、夕刻近く、南東の風が吹き、程よい微風を得て北西に針路を採った。, が、ヤハト船ウェイデネス號に坐乘し、キーフィット號、ナハテガル號と共, 下級商務員イザー。ク・ダフイツツセン(, これらの船がヤハト船のキーフィット號、ナハテガル號, 日にかけての夜間、司令官ラモチウス, 茶宇嶋〓同月二十六日風は西南西、針路は前記に同じ。朝、〓「ドウ二ル嶋(同嶋はギア〓グ涌〇, ランダ軍の司令官としてバタフィアを發しタイオワンに向ったが、彼の到著以前に城は陷落し、戰鬪は終結していた。, その後暫時臺灣に在ったが、一六四三年一月十三日、廣南國王玩氏と對立する東京國王鄭氏を支援する爲め、五船を, 勤務し、アンボイナ、アチェー等で活躍、累進して大尉になり、マラッカ攻略戰に從軍中、一六四〇年十一月、上長, 官sergeant-majorに昇進した。一六四二年七月二十六日、臺灣嶋北部鷄籠のイスパニア城塞攻略のため、同嶋のナ, ウァッケ, ス・ラモチウスを司令官として、兵員二九〇名を伴い、タイオワンを出發した。, 事行動を支援する爲め東京に派遣されたもので、一六四三年一月十三日、ヨハ衣, グ、義安または又安、紅河即ち珸河song koiの一支流。, )正しくはゼーウス・ナハテガ, 後出のフラッカキ嶋はギアング河口の沖合に位置する。, 發し東京に赴いた。, 率いてタイオワンを, ○上記の三船は、ウェイデネス號、ザントフォール, ルzeeuwsche nachtegae1(, ン・ブルックホルストの配下として、一六四二年十二月、メールマ, ウjean la motte、一六三四年以降、下士官として東インド會社に, ○下級商務員イザーク・ホベインisaac gobiinと共に商務員ファ, 號と共に、廣南の玩氏に對する東京國王鄭氏の軍, ら東京に派遣された、, 事行動を支援する爲め東京に派遣されたもので、一六四三年一月十三日、ヨハネ, ン號にてタイオワンか, 義安河口に, 〓アング河口、北緯一八度三分の一の地點に位置し、東京に, )poulo kakijか。同嶋は當時のオランダ側史料に據れば、, ス・ラモチウスを司令官として、兵員二九〇名を伴い、タイオワンを出發した。, その後暫時臺變むに在ったが、一六四三年一月十三日、廣南國王阮氏と對立する東京國王鄭氏を支援する爲め、五船を, 〓i七ス○ヨハネス・ラモチウスjohannes, lamotius又はジヤン・ラ・モッ, 勤務し、アンボイナ、アチェー等で活躍、累進して大尉になり、マラッカ攻略戰に從軍中、一六四〇年十一月、上長, て蘭船に邂, 近す, 官sergeant-majorに昇進した。一六四二年七月二十六日、臺灣嶋北部鷄籠のイスパニア城塞攻略のため、同嶋のオ, キーフィツ, タフィアに, フラッカキ, ナハテガル, イツツセン, を率ゐてバ, ーク・ダフ, 嶋に泊す, 三船の行動, 向ふ, 司令官ラモ, 在東京下級, 經緯に就き, チウス三船, 報ず, ヴァッケン, 商務員イザ, 號, デ・ブーイ, ト號, 近す, て蘭船に邂, 號, 一六四三年五月リロ號にて, 六一

割注

  • グ、義安または又安、紅河即ち珸河song koiの一支流。
  • )正しくはゼーウス・ナハテガ
  • 後出のフラッカキ嶋はギアング河口の沖合に位置する。
  • 發し東京に赴いた。
  • 率いてタイオワンを
  • ○上記の三船は、ウェイデネス號、ザントフォール
  • ルzeeuwsche nachtegae1(
  • ン・ブルックホルストの配下として、一六四二年十二月、メールマ
  • ウjean la motte、一六三四年以降、下士官として東インド會社に
  • ○下級商務員イザーク・ホベインisaac gobiinと共に商務員ファ
  • 號と共に、廣南の玩氏に對する東京國王鄭氏の軍
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  • 事行動を支援する爲め東京に派遣されたもので、一六四三年一月十三日、ヨハネ
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  • 義安河口に
  • 〓アング河口、北緯一八度三分の一の地點に位置し、東京に
  • )poulo kakijか。同嶋は當時のオランダ側史料に據れば、
  • ス・ラモチウスを司令官として、兵員二九〇名を伴い、タイオワンを出發した。
  • その後暫時臺變むに在ったが、一六四三年一月十三日、廣南國王阮氏と對立する東京國王鄭氏を支援する爲め、五船を
  • 〓i七ス○ヨハネス・ラモチウスjohannes, lamotius又はジヤン・ラ・モッ
  • 勤務し、アンボイナ、アチェー等で活躍、累進して大尉になり、マラッカ攻略戰に從軍中、一六四〇年十一月、上長
  • て蘭船に邂
  • 近す
  • 官sergeant-majorに昇進した。一六四二年七月二十六日、臺灣嶋北部鷄籠のイスパニア城塞攻略のため、同嶋のオ

頭注

  • キーフィツ
  • タフィアに
  • フラッカキ
  • ナハテガル
  • イツツセン
  • を率ゐてバ
  • ーク・ダフ
  • 嶋に泊す
  • 三船の行動
  • 向ふ
  • 司令官ラモ
  • 在東京下級
  • 經緯に就き
  • チウス三船
  • 報ず
  • ヴァッケン
  • 商務員イザ
  • デ・ブーイ
  • ト號
  • 近す
  • て蘭船に邂

  • 一六四三年五月リロ號にて

ノンブル

  • 六一

注記 (68)

  • 1479,1787,53,1124の前面に位置する、)が本船から凡そ一マイル
  • 1789,373,53,433ァハテル嶋過した。
  • 1164,626,57,1264ンデ・ブーイ號であることを知り、大いに驚いた。
  • 333,639,56,1089にギアング河の前面に位置するフラッカキ嶋
  • 1372,621,57,2265半の地點に在った。そして、その先に三隻の帆影を認めた。正午近く、これに追いついたが、
  • 854,1059,60,1840の口頭での報告により以下のことを知った。即ち、去る三月末日から四月一
  • 1683,653,56,2180同月二十五日凪、夕刻近く、南東の風が吹き、程よい微風を得て北西に針路を採った。
  • 438,1030,58,1884が、ヤハト船ウェイデネス號に坐乘し、キーフィット號、ナハテガル號と共
  • 955,680,68,947下級商務員イザー。ク・ダフイツツセン(
  • 1268,632,59,1350これらの船がヤハト船のキーフィット號、ナハテガル號
  • 750,628,61,939日にかけての夜間、司令官ラモチウス
  • 1575,362,87,2536茶宇嶋〓同月二十六日風は西南西、針路は前記に同じ。朝、〓「ドウ二ル嶋(同嶋はギア〓グ涌〇
  • 570,628,46,2277ランダ軍の司令官としてバタフィアを發しタイオワンに向ったが、彼の到著以前に城は陷落し、戰鬪は終結していた。
  • 524,638,48,2273その後暫時臺灣に在ったが、一六四三年一月十三日、廣南國王玩氏と對立する東京國王鄭氏を支援する爲め、五船を
  • 674,622,46,2288勤務し、アンボイナ、アチェー等で活躍、累進して大尉になり、マラッカ攻略戰に從軍中、一六四〇年十一月、上長
  • 629,618,47,2280官sergeant-majorに昇進した。一六四二年七月二十六日、臺灣嶋北部鷄籠のイスパニア城塞攻略のため、同嶋のナ
  • 1278,2715,46,195ウァッケ
  • 1045,615,44,1555ス・ラモチウスを司令官として、兵員二九〇名を伴い、タイオワンを出發した。
  • 1087,618,47,1567事行動を支援する爲め東京に派遣されたもので、一六四三年一月十三日、ヨハ衣
  • 1502,626,45,1121グ、義安または又安、紅河即ち珸河song koiの一支流。
  • 1299,2008,43,577)正しくはゼーウス・ナハテガ
  • 1459,621,43,1062後出のフラッカキ嶋はギアング河口の沖合に位置する。
  • 423,628,42,359發し東京に赴いた。
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  • 1194,1926,45,984○上記の三船は、ウェイデネス號、ザントフォール
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  • 736,1595,45,1314ウjean la motte、一六三四年以降、下士官として東インド會社に
  • 985,1611,45,1293○下級商務員イザーク・ホベインisaac gobiinと共に商務員ファ
  • 1151,1945,45,968號と共に、廣南の玩氏に對する東京國王鄭氏の軍
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  • 1088,620,46,1568事行動を支援する爲め東京に派遣されたもので、一六四三年一月十三日、ヨハネ
  • 880,634,45,424ン號にてタイオワンか
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  • 363,1749,46,1136)poulo kakijか。同嶋は當時のオランダ側史料に據れば、
  • 1045,619,44,1552ス・ラモチウスを司令官として、兵員二九〇名を伴い、タイオワンを出發した。
  • 524,631,48,2278その後暫時臺變むに在ったが、一六四三年一月十三日、廣南國王阮氏と對立する東京國王鄭氏を支援する爲め、五船を
  • 771,1209,63,1693〓i七ス○ヨハネス・ラモチウスjohannes, lamotius又はジヤン・ラ・モッ
  • 674,621,46,2291勤務し、アンボイナ、アチェー等で活躍、累進して大尉になり、マラッカ攻略戰に從軍中、一六四〇年十一月、上長
  • 1442,364,40,212て蘭船に邂
  • 1397,359,43,83近す
  • 629,619,47,2289官sergeant-majorに昇進した。一六四二年七月二十六日、臺灣嶋北部鷄籠のイスパニア城塞攻略のため、同嶋のオ
  • 1280,366,37,203キーフィツ
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