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安を生じた。そこで、乘組員全員を上陸させ、捕えて江戸に送るように努めたが、互に意志を通, 面に來たり投錨した。この事件に依って、同地では、土地の人間がヨーロッパ人を識らないの, ずることも、誰も話すことも出來なかった。しかし、船長及び商務員との交渉で、次のような顛, で、彼等がカスティリア人かポルトガル人か、或いは類似のキリシタンではないかと思い、不, 引き渡すが、船と自餘の乘組員は拘束せぬこととし、前記の十名は、優に十日に及ぶ、長途百, 末となった。即ち、彼等自身が人質となり、他に八名の者の身柄をその地の領主、即ち政廳に, 前記の知事は、上述の船と人員に就いて、その目的が何であるかを知らないかどうか、ま, 三十二歳, -マイルの旅程を江戸まで送られた。船長は名をヘンドリック・コルネリスゾーン・スハープ、, 、年齢二十四歳、彼等の給仕はパウルス, は彼等にも未だ知られていない由, 南部の町(日本の國土の極端に位置する)の前, ルト・バスチアーンセンaert bastiaensen。, sen spelt、ハンス・スレーhans slee、アー。, van elsfort、ユリアーン・スホルテンjuriaen scholten、アブラハム・。ピーターセン・スペルトabraham pieters., 政宗の領國, といい、十四歳、其他の者の名, 〔七ヽ下級商務員はウィルレム・ビーレフェルト, ピーター・ヘリッツセン・カイパーpieter gerritsen cuyper'ヘンドリック・ファン・エルスフォルトhendrick, コブ・デ・パーウ。, ○この時身柄を引渡された他の七名は以下の如くである。シーヴァールト・, ヤンセン・メス、別名バイスマンsiewaert jansen mes alias buysman, 見られるが、陸奥國を〓括的に「政宗の領國」と記す場合も、, )hendrick cornelisz. schaep彼は一六三九年、船長として東インドに來たり、一六四三年、マールテン, ヘリッツゾーン・ド・フリースの指揮する金銀嶋探檢船隊にヤハト船ブレスケンス號の船長として參加, ○jacob de pauw、ヤ, バイレフヽ, あり、「伊達氏の領國」と特定して記されるとは限らない, ○正しくは, ピーター・ヘリッツセン・カイパーpieter gerritsen cuyper'ヘンドリック・ファン・エルスフォルトhendrick, エルト。, bijlevelt, した。釋放後、バタフィアに〓り、尋で一六四七。, 年、フィリピン群嶋周邊を航行中に死亡した。, van elsfort、ユリアーン・スホルテンjuriaen scholten、アブラハム・。ピーターセン・スペルトabraham pieters-, 名を捕へて, 江戸に送る, 船長以下十, 交名, 從僕パーウ, 其他蘭人の, バイレフェ, 下級商務員, 船長スハ, 長崎奉行漂, ルト, プ, 一六四三年九月長崎にて, 一四八
割注
- コブ・デ・パーウ。
- ○この時身柄を引渡された他の七名は以下の如くである。シーヴァールト・
- ヤンセン・メス、別名バイスマンsiewaert jansen mes alias buysman
- 見られるが、陸奥國を〓括的に「政宗の領國」と記す場合も、
- )hendrick cornelisz. schaep彼は一六三九年、船長として東インドに來たり、一六四三年、マールテン
- ヘリッツゾーン・ド・フリースの指揮する金銀嶋探檢船隊にヤハト船ブレスケンス號の船長として參加
- ○jacob de pauw、ヤ
- バイレフヽ
- あり、「伊達氏の領國」と特定して記されるとは限らない
- ○正しくは
- ピーター・ヘリッツセン・カイパーpieter gerritsen cuyper'ヘンドリック・ファン・エルスフォルトhendrick
- エルト。
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- した。釋放後、バタフィアに〓り、尋で一六四七。
- 年、フィリピン群嶋周邊を航行中に死亡した。
- van elsfort、ユリアーン・スホルテンjuriaen scholten、アブラハム・。ピーターセン・スペルトabraham pieters-
頭注
- 名を捕へて
- 江戸に送る
- 船長以下十
- 交名
- 從僕パーウ
- 其他蘭人の
- バイレフェ
- 下級商務員
- 船長スハ
- 長崎奉行漂
- ルト
- プ
柱
- 一六四三年九月長崎にて
ノンブル
- 一四八
注記 (49)
- 1406,610,59,2298安を生じた。そこで、乘組員全員を上陸させ、捕えて江戸に送るように努めたが、互に意志を通
- 1618,606,57,2291面に來たり投錨した。この事件に依って、同地では、土地の人間がヨーロッパ人を識らないの
- 1304,612,56,2299ずることも、誰も話すことも出來なかった。しかし、船長及び商務員との交渉で、次のような顛
- 1513,614,58,2290で、彼等がカスティリア人かポルトガル人か、或いは類似のキリシタンではないかと思い、不
- 1095,612,56,2287引き渡すが、船と自餘の乘組員は拘束せぬこととし、前記の十名は、優に十日に及ぶ、長途百
- 1200,615,53,2281末となった。即ち、彼等自身が人質となり、他に八名の者の身柄をその地の領主、即ち政廳に
- 259,665,58,2237前記の知事は、上述の船と人員に就いて、その目的が何であるかを知らないかどうか、ま
- 886,613,60,225三十二歳
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