『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 20 訳8上1643年09月-1644年06月 p.27

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

木の廊下に跪くように命じられた(使節筑後殿、知事三郎左衛門殿、そしてその他の殿たちも, ている間に何人もの領主、貴族たちが我々を見に来た。その中には何人かの我々が見知ってい, る、また向こうが我々のことを知っている人たちもいて、時々多少の会話もしたが、重要な話, 畳なしの漆塗りの板の間に座っていた)。彼等は四十人以上いて、皆一つの美しい(その天井は, いくつもの立派な部屋を抜け、最高政府の一団の前に導かれた。そこで、(閣下たちに正対して), 得ている。然るに何故彼の両船は陸地に近付いたり離れたりし、敢えて入港せず、(彼等が欠, ではなかった。結局二時間待った後、殿たちの一人に手を取られ、(前述の通詞たちとともに), 向こうから絶えず我々に注目し、双方の間で交わされた言葉をすべて聞いていた。ここに集ま, ルの贅沢に金や様々の色で装飾されていた)広間にその地位に応じた順序で座を占めていた。審問, で、彼等は前述の使節, ら(〔オランダ人は〕誠実な者たちであるとわかったので)日本全国の港に自由に入港する許可を, を手に、次のように述べた。, 〔問〕オランダ人たちは前の皇帝権現様, 〓と知事, 〓を受けていた間、皇帝陛下は十五フィート程離れた戸(それは一フィート余り開いていた)の, 〓に我々に質問をするよう命じ、〔両人は〕びっしりと文字の書かれた文書, つた人々の首座にあるのは豊後殿、対馬殿、そして堀田加賀殿, (den ouden keyser gougesamnma), 郎左衛門, ○馬場一, ○堀田加, 筑後守, ○徳川家康。オランダ人は一六〇九年八月二十四日(慶長十, ○井ト, 賀守正盛, 四年七月二十五日)家康の渡航許可朱印状を受けている。, 様子, 臨席, 可を得る, 蘭船の行動, より渡航許, は不審, 尋問の場の, 蘭人は先帝, 将軍家光, 堀田加賀守, 阿部豊後守, 阿部対馬守, 井上・馬場, 尋問を行う, 一六四三年十二月江戸にて, 二六

割注

  • 郎左衛門
  • ○馬場一
  • ○堀田加
  • 筑後守
  • ○徳川家康。オランダ人は一六〇九年八月二十四日(慶長十
  • ○井ト
  • 賀守正盛
  • 四年七月二十五日)家康の渡航許可朱印状を受けている。

頭注

  • 様子
  • 臨席
  • 可を得る
  • 蘭船の行動
  • より渡航許
  • は不審
  • 尋問の場の
  • 蘭人は先帝
  • 将軍家光
  • 堀田加賀守
  • 阿部豊後守
  • 阿部対馬守
  • 井上・馬場
  • 尋問を行う

  • 一六四三年十二月江戸にて

ノンブル

  • 二六

注記 (42)

  • 1298,592,56,2291木の廊下に跪くように命じられた(使節筑後殿、知事三郎左衛門殿、そしてその他の殿たちも
  • 1708,592,55,2278ている間に何人もの領主、貴族たちが我々を見に来た。その中には何人かの我々が見知ってい
  • 1607,594,55,2287る、また向こうが我々のことを知っている人たちもいて、時々多少の会話もしたが、重要な話
  • 1195,593,55,2286畳なしの漆塗りの板の間に座っていた)。彼等は四十人以上いて、皆一つの美しい(その天井は
  • 1401,601,56,2274いくつもの立派な部屋を抜け、最高政府の一団の前に導かれた。そこで、(閣下たちに正対して)
  • 274,646,56,2231得ている。然るに何故彼の両船は陸地に近付いたり離れたりし、敢えて入港せず、(彼等が欠
  • 1504,559,55,2310ではなかった。結局二時間待った後、殿たちの一人に手を取られ、(前述の通詞たちとともに)
  • 889,595,55,2285向こうから絶えず我々に注目し、双方の間で交わされた言葉をすべて聞いていた。ここに集ま
  • 1094,475,54,2406ルの贅沢に金や様々の色で装飾されていた)広間にその地位に応じた順序で座を占めていた。審問
  • 787,2348,52,532で、彼等は前述の使節
  • 377,651,54,2231ら(〔オランダ人は〕誠実な者たちであるとわかったので)日本全国の港に自由に入港する許可を
  • 583,595,52,665を手に、次のように述べた。
  • 477,627,56,942〔問〕オランダ人たちは前の皇帝権現様
  • 682,755,67,177〓と知事
  • 989,555,63,2326〓を受けていた間、皇帝陛下は十五フィート程離れた戸(それは一フィート余り開いていた)の
  • 679,1118,69,1762〓に我々に質問をするよう命じ、〔両人は〕びっしりと文字の書かれた文書
  • 787,611,54,1509つた人々の首座にあるのは豊後殿、対馬殿、そして堀田加賀殿
  • 552,1186,33,553(den ouden keyser gougesamnma)
  • 664,932,44,182郎左衛門
  • 711,935,48,174○馬場一
  • 814,2133,47,200○堀田加
  • 665,595,46,144筑後守
  • 506,1583,48,1258○徳川家康。オランダ人は一六〇九年八月二十四日(慶長十
  • 712,594,46,159○井ト
  • 770,2130,39,180賀守正盛
  • 459,1574,48,1202四年七月二十五日)家康の渡航許可朱印状を受けている。
  • 1462,308,46,89様子
  • 1054,309,42,89臨席
  • 389,315,43,177可を得る
  • 310,313,45,225蘭船の行動
  • 436,313,44,228より渡航許
  • 264,313,42,133は不審
  • 1509,309,44,226尋問の場の
  • 486,312,42,225蘭人は先帝
  • 1101,308,42,189将軍家光
  • 698,310,41,227堀田加賀守
  • 793,309,43,232阿部豊後守
  • 745,311,43,225阿部対馬守
  • 620,310,43,228井上・馬場
  • 572,309,42,228尋問を行う
  • 1811,822,46,585一六四三年十二月江戸にて
  • 1811,2572,44,86二六

類似アイテム