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おいた手紙一二通を送ったが、キャプテン・チャイナの差圖により二通ともジョルジュ・ドゥロ, イス宛ての手紙に同封して送った。ジョン・ヨッセンが私を訪ねて來たが、五人の男が彼の伴, 買入れた。私とエド・セイヤーとは、我々が半分ずつ分けてもっていた龍涎香三カティーを秤, たが、その後はひどい俄雨となった。, 日本の情報が一般にそうであるように、これもやがて虚報であることが判るものと思う。, をしていた。我々はキャプテン・アダムズの仲立ちで米六袋を丁銀一匁當り四ガントの價格で, 量したが、それは目方にして二匁闕けていて、〔値段では〕七〇匁不足していることを知った。, り易かった。しかも日中を通じて快晴の天氣で、夜分も夜明け前一時間のころまで同樣であっ, のもとに囚禁してあったのだ、との情報(すなわち報告)が傳えられた。しかし私は、大抵の, 私はジョルジュ・ドゥロスとキャプテン・ガルローチョに、昨日附で書き、今日まで手許に, の息子のフィデイア樣に對戰するのを拒んだため、同地, 今日は大工二人と人夫二人。, の不在中に江戸を燒き拂ったが、皇帝は曩に彼を、彼がその主君タイクス, 「で捕えて、一人の若者, が皇帝, 六日今朝は靜穩で雨降りの天氣であったが、その後は僅かに風が出て日中の大部分に及び, 當地に、ツシマ・タイ, 樣, 藝廣嶋城主となった。本書ではより多くfrushma tayと記されているがいずれも表記に, ○福嶋左衞門大夫正則。年來秀吉の家臣として勇名を馳せたが關ヶ原役で家康に屬し、安, 臣秀吉。, ある、, ○太閤、豐, ○老皇帝, 家康。, 訛傳が, ○〓, 戸, 封す, の書状をド, の書状に同, に依りガル, ウロイス宛, 耶揚子の從, 福嶋正則獄, ローチョ宛, 戸を燒くと, 李旦の指圖, を〓して江, の噂, 者, 一六一五年七月, 四〇
割注
- 藝廣嶋城主となった。本書ではより多くfrushma tayと記されているがいずれも表記に
- ○福嶋左衞門大夫正則。年來秀吉の家臣として勇名を馳せたが關ヶ原役で家康に屬し、安
- 臣秀吉。
- ある、
- ○太閤、豐
- ○老皇帝
- 家康。
- 訛傳が
- ○〓
- 戸
頭注
- 封す
- の書状をド
- の書状に同
- に依りガル
- ウロイス宛
- 耶揚子の從
- 福嶋正則獄
- ローチョ宛
- 戸を燒くと
- 李旦の指圖
- を〓して江
- の噂
- 者
柱
- 一六一五年七月
ノンブル
- 四〇
注記 (43)
- 1342,621,59,2259おいた手紙一二通を送ったが、キャプテン・チャイナの差圖により二通ともジョルジュ・ドゥロ
- 1232,619,63,2272イス宛ての手紙に同封して送った。ジョン・ヨッセンが私を訪ねて來たが、五人の男が彼の伴
- 1024,615,59,2276買入れた。私とエド・セイヤーとは、我々が半分ずつ分けてもっていた龍涎香三カティーを秤
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- 400,611,56,2127日本の情報が一般にそうであるように、これもやがて虚報であることが判るものと思う。
- 1130,617,60,2267をしていた。我々はキャプテン・アダムズの仲立ちで米六袋を丁銀一匁當り四ガントの價格で
- 920,607,59,2276量したが、それは目方にして二匁闕けていて、〔値段では〕七〇匁不足していることを知った。
- 1761,626,60,2256り易かった。しかも日中を通じて快晴の天氣で、夜分も夜明け前一時間のころまで同樣であっ
- 503,616,56,2261のもとに囚禁してあったのだ、との情報(すなわち報告)が傳えられた。しかし私は、大抵の
- 1445,677,62,2208私はジョルジュ・ドゥロスとキャプテン・ガルローチョに、昨日附で書き、今日まで手許に
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- 800,1148,44,1733藝廣嶋城主となった。本書ではより多くfrushma tayと記されているがいずれも表記に
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