『日本関係海外史料』 イギリス商館長日記 4 訳文編之上 元和1年5月~3年6月 p.554

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一六一六年十一月〓, とにつき、彼は我々に、オランダ人が他から買ったよりもはるかに安く一ピコル當り三匁でそ, というよりは無風状態に近く、日中も、その後の夜間も風はまったくなかった、等々。, る好意を我々に示し、そしてもし我々がそれを必要とするなら我々に銀なり商品なりで一〇○, 貫目を用立てるよう差圖して來たと、語った。さらにまた彼は、我々が必要としている銅のこ, 我々の堺の定宿の主人トーザイェモン殿は私に、チュービオ殿が彼に、彼のできる限り凡ゆ, 一日今朝は快晴で靜穩な天氣であって、以前ほど寒くなく、ほんの少し西の風があった、, 後には多量の雨を伴ない、そしてその後の夜分も同樣であった、等々。, はこの人物を高く評價しているのである。, れを提供したいと語った。神よ、總べてが眞實であるよう、御加護あらせ給え。しかもなお私, に送るため人形を八つ買ったが、一匁二分かかり、ゴレザノにより支拂われた。, 〓二日今朝は快晴で靜穩で温和な天氣であったが、しかしその後間もなく北の風が出て、午, で、そこには, 私は町の記念建造物を見に出かけた。すなわち、〔先ず〕ダイボッツのある聖堂〓擅フ方, 十七(一六一二)年家康の薦めで秀頼が再興、金銅佛としたが、寛永二(一六二五)年鑄潰される, 一六一六年十一月, わが元和二年十月三日に始まり十一月二日に及ぶ。, ○新暦では十一月十一日より十二月十日までに當り、, (一五八六)年豐臣秀吉の發願により同十七年完成し、大佛は當初六丈三尺の木像であった。慶長(, ー七(一六一二)年家康の薦めで秀頼が再興、金銅佛としたが、寛永二(一六二五)年鑄潰される, ○天臺宗方廣, 寺。天正十四, せんとす, 銅は廉く提, 談話, 長谷川藤繼, 供せらるべ, を參觀す, 英人を優〓, 藤左衞門の, 子女の爲め, に人形を購, 方廣寺大佛, 京都の史蹟, し, ふ, 殿, 一六一六年十一月, 五五四

割注

  • わが元和二年十月三日に始まり十一月二日に及ぶ。
  • ○新暦では十一月十一日より十二月十日までに當り、
  • (一五八六)年豐臣秀吉の發願により同十七年完成し、大佛は當初六丈三尺の木像であった。慶長(
  • ー七(一六一二)年家康の薦めで秀頼が再興、金銅佛としたが、寛永二(一六二五)年鑄潰される
  • ○天臺宗方廣
  • 寺。天正十四

頭注

  • せんとす
  • 銅は廉く提
  • 談話
  • 長谷川藤繼
  • 供せらるべ
  • を參觀す
  • 英人を優〓
  • 藤左衞門の
  • 子女の爲め
  • に人形を購
  • 方廣寺大佛
  • 京都の史蹟
  • 殿

  • 一六一六年十一月

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  • 五五四

注記 (39)

  • 1609,720,70,512一六一六年十一月〓
  • 929,628,61,2277とにつき、彼は我々に、オランダ人が他から買ったよりもはるかに安く一ピコル當り三匁でそ
  • 1350,635,57,2074というよりは無風状態に近く、日中も、その後の夜間も風はまったくなかった、等々。
  • 1135,628,66,2277る好意を我々に示し、そしてもし我々がそれを必要とするなら我々に銀なり商品なりで一〇○
  • 1032,622,63,2282貫目を用立てるよう差圖して來たと、語った。さらにまた彼は、我々が必要としている銅のこ
  • 1241,678,62,2222我々の堺の定宿の主人トーザイェモン殿は私に、チュービオ殿が彼に、彼のできる限り凡ゆ
  • 1453,698,64,2181一日今朝は快晴で靜穩な天氣であって、以前ほど寒くなく、ほんの少し西の風があった、
  • 509,618,60,1707後には多量の雨を伴ない、そしてその後の夜分も同樣であった、等々。
  • 725,625,54,990はこの人物を高く評價しているのである。
  • 820,621,66,2282れを提供したいと語った。神よ、總べてが眞實であるよう、御加護あらせ給え。しかもなお私
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  • 400,671,70,2193私は町の記念建造物を見に出かけた。すなわち、〔先ず〕ダイボッツのある聖堂〓擅フ方
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