『日本関係海外史料』 イギリス商館長日記 6 訳文編付録(上)元和5年1月~9年11月 p.145

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一二るちゃる・かくす, 尚た此ふく手爰元逗留仕〓は、たうしん二人長崎下〓を、のせ申, 書状案ちいな・かぴたん, 宛〔元和四年〕十二月廿一日, 附〓, 一六一九年一月, ○舊暦一六一九年, ヤード・コックス、, 月二十六日に當る。, ○平戸在住シナ, スが一六一九年二月二十日長崎に赴いたことに就いては、附録二の第一號, 甲必丹李曰, ○イギリス商館長リチ, 英文文書を見よ。なお『大日本史料』第十二編之三十(二六八頁)參照。, 館所藏原書翰集第六册七三九號文書, の動静が伺えること、及び文中の新右衞門とはコックスの日記一六一七年二月十四日の條に見える「我々の船, 國外國及連邦事務省内舊インド省圖書, 頭〓〓ゼ」がコックスと李旦により「シネモン殿」と改名された人物に一致することの三點であろう。コック, 日である元和四年の「十二月廿一日」であることが明らかである。コックスが商館の庭に多くの植物を植えた, があり、三月中旬までは前年度なので、この日附は、わが元和四年十二月二十二日に當り、本文旧附はその前, たん」すなわちチヤイナ・キャプテン・アンドレア・ディティス李旦と平戸で逢いたいと述べてこれらの三人, 前出第八號・第一○號文書に據れば、事實二日後の一六一九年一月二十七日にコックスの手に渡ったこと、フ, ックスは近く長崎に向かいたいが、その前に正月には長崎在住の兄弟華宇の家へ出向いている「ちいな・かぴ, ヤイナ・キヤプテンのアンドレア・ディティスに宛てて一月二十七日に送られた〔書状〕の寫」との英文の追記, なわちアダムズがコックスの大坂出發後しばらくして大坂を出發して、この日附の前日すなわち一六一九年, ことはその日記の隨所に見えるが、この文書がコックスの日記の闕損時期の事實を示す重要な點は「安仁寸, 月二十五日に平戸に到著して、御朱印は安仁從者の「若者」が一兩日中に平戸に到著する筈だと傳えており、, ○ロン, ○この文書は折紙の發信控で、年號を闕くが、餘白に差出人コックスの「一六一八年。平戸より長崎へ向けチ, ン英, かくす書状, るちゃる・, 案, 追而書, 一四九

割注

  • ○舊暦一六一九年
  • ヤード・コックス、
  • 月二十六日に當る。
  • ○平戸在住シナ
  • スが一六一九年二月二十日長崎に赴いたことに就いては、附録二の第一號
  • 甲必丹李曰
  • ○イギリス商館長リチ
  • 英文文書を見よ。なお『大日本史料』第十二編之三十(二六八頁)參照。
  • 館所藏原書翰集第六册七三九號文書
  • の動静が伺えること、及び文中の新右衞門とはコックスの日記一六一七年二月十四日の條に見える「我々の船
  • 國外國及連邦事務省内舊インド省圖書
  • 頭〓〓ゼ」がコックスと李旦により「シネモン殿」と改名された人物に一致することの三點であろう。コック
  • 日である元和四年の「十二月廿一日」であることが明らかである。コックスが商館の庭に多くの植物を植えた
  • があり、三月中旬までは前年度なので、この日附は、わが元和四年十二月二十二日に當り、本文旧附はその前
  • たん」すなわちチヤイナ・キャプテン・アンドレア・ディティス李旦と平戸で逢いたいと述べてこれらの三人
  • 前出第八號・第一○號文書に據れば、事實二日後の一六一九年一月二十七日にコックスの手に渡ったこと、フ
  • ックスは近く長崎に向かいたいが、その前に正月には長崎在住の兄弟華宇の家へ出向いている「ちいな・かぴ
  • ヤイナ・キヤプテンのアンドレア・ディティスに宛てて一月二十七日に送られた〔書状〕の寫」との英文の追記
  • なわちアダムズがコックスの大坂出發後しばらくして大坂を出發して、この日附の前日すなわち一六一九年
  • ことはその日記の隨所に見えるが、この文書がコックスの日記の闕損時期の事實を示す重要な點は「安仁寸
  • 月二十五日に平戸に到著して、御朱印は安仁從者の「若者」が一兩日中に平戸に到著する筈だと傳えており、
  • ○ロン
  • ○この文書は折紙の發信控で、年號を闕くが、餘白に差出人コックスの「一六一八年。平戸より長崎へ向けチ
  • ン英

頭注

  • かくす書状
  • るちゃる・
  • 追而書

ノンブル

  • 一四九

注記 (35)

  • 1656,903,72,694一二るちゃる・かくす
  • 319,1328,59,1515尚た此ふく手爰元逗留仕〓は、たうしん二人長崎下〓を、のせ申
  • 1663,2051,63,772書状案ちいな・かぴたん
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  • 1652,1606,39,349ヤード・コックス、
  • 1551,2247,43,354月二十六日に當る。
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  • 476,749,54,1432スが一六一九年二月二十日長崎に赴いたことに就いては、附録二の第一號
  • 1544,1065,39,213甲必丹李曰
  • 1693,1605,40,423○イギリス商館長リチ
  • 434,740,52,1373英文文書を見よ。なお『大日本史料』第十二編之三十(二六八頁)參照。
  • 1444,1067,46,705館所藏原書翰集第六册七三九號文書
  • 609,747,55,2154の動静が伺えること、及び文中の新右衞門とはコックスの日記一六一七年二月十四日の條に見える「我々の船
  • 1488,1066,48,736國外國及連邦事務省内舊インド省圖書
  • 564,748,54,2147頭〓〓ゼ」がコックスと李旦により「シネモン殿」と改名された人物に一致することの三點であろう。コック
  • 1095,744,52,2149日である元和四年の「十二月廿一日」であることが明らかである。コックスが商館の庭に多くの植物を植えた
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  • 698,752,54,2137たん」すなわちチヤイナ・キャプテン・アンドレア・ディティス李旦と平戸で逢いたいと述べてこれらの三人
  • 830,741,52,2145前出第八號・第一○號文書に據れば、事實二日後の一六一九年一月二十七日にコックスの手に渡ったこと、フ
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  • 1229,748,50,2148ヤイナ・キヤプテンのアンドレア・ディティスに宛てて一月二十七日に送られた〔書状〕の寫」との英文の追記
  • 964,742,51,2136なわちアダムズがコックスの大坂出發後しばらくして大坂を出發して、この日附の前日すなわち一六一九年
  • 1007,744,53,2151ことはその日記の隨所に見えるが、この文書がコックスの日記の闕損時期の事實を示す重要な點は「安仁寸
  • 874,748,54,2122月二十五日に平戸に到著して、御朱印は安仁從者の「若者」が一兩日中に平戸に到著する筈だと傳えており、
  • 1602,2711,36,113○ロン
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  • 225,2565,42,113一四九

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