『日本関係海外史料』 イギリス商館長日記 6 訳文編付録(上)元和5年1月~9年11月 p.150

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一四めんちゃうる高比良善兵, たん, 宛〔元和四年〕十二月二十六日, 附, 書状かぴ, 第十二編之三十(二六九頁)參照。, ○舊暦一六一九年, ○長崎在住日本人。平戸イギリス商, ○リチャード, 月三十一日に當る。, 館員エドモンド・セイヤー附通詞。, ○ロンドン英國外國及連邦事務省内舊インド省, フト・オヴ・ゴッド號で商務員エドモンド・セイヤーの通詞としてかの地へ向かったが、同號歸航にさいしト, 發、交趾航海を無事に終えて、同年八月初め五嶋に、次いで同月十一日平戸に歸った三浦按針のジャンク船ギ, チャーは長崎の人で、コックスの日記に見る通り、一六一七年三月十九日平戸を、次いで二十三日河内浦を王, 追記があり、三月中旬までは前年度なので、この受取日附は元和四年十二月二十九日であることが判る。メル, メルチャーが交趾を去って、元和四年末(一六一八年二月初)に長崎に「歸朝」したことをコツクスに報じな, 戸に歸ったこと、「しによろ」はコーチンシナへ同行した雇い主セイヤーのことであるが、「ねちやうす」はヤ, 月十四日平戸に〓ったことが知られる。この文書は期待していたセイヤーの船が航海に成功しなかったため、, 現地に殘ってセイヤーの再來を待った。同じコックスの日記で翌一六一八年三月十七日、セイヤーは肥後四官, イヤーの名の訛傳とは思われず、さりとて、翌年の「ふね」が首尾良く航海できなかった事情を示す語と讀む, ものである。文中、「かみより無事に御下り」とあるのは、コックスが朱印状の下附を願って江戸へ參府して平, イナ渡航のためのエド・セイヤーの通詞メルチャーより。平戸に於いて二月四日長崎より受領。」という英文(, コックス。, ○この文書は折紙で、年號を闕くが、折封上ハ書の脇の餘白に受取人コックスの「一六一八年。コーチンチャ, 圖書館所藏原書翰集第六册第七五〇號文書。, のジャンク船(船長シナ人チンパウ、舵手三浦按針)で長崎を出帆したが、颱風のため航海に失敗して同年五, のにも幾分無理があるので、後考に俟つ。「罷上り」とあるのは、船便では長崎より上方の方に近い平戸まで赴, くことを意味している。『大日本史料』, 第十二編之三十(二六九頁)參照。, ジャンク船, る高比良善, ヴ・ゴッド, 兵書状, めんちゃう, ギフト・オ, 號, 一五四

割注

  • ○舊暦一六一九年
  • ○長崎在住日本人。平戸イギリス商
  • ○リチャード
  • 月三十一日に當る。
  • 館員エドモンド・セイヤー附通詞。
  • ○ロンドン英國外國及連邦事務省内舊インド省
  • フト・オヴ・ゴッド號で商務員エドモンド・セイヤーの通詞としてかの地へ向かったが、同號歸航にさいしト
  • 發、交趾航海を無事に終えて、同年八月初め五嶋に、次いで同月十一日平戸に歸った三浦按針のジャンク船ギ
  • チャーは長崎の人で、コックスの日記に見る通り、一六一七年三月十九日平戸を、次いで二十三日河内浦を王
  • 追記があり、三月中旬までは前年度なので、この受取日附は元和四年十二月二十九日であることが判る。メル
  • メルチャーが交趾を去って、元和四年末(一六一八年二月初)に長崎に「歸朝」したことをコツクスに報じな
  • 戸に歸ったこと、「しによろ」はコーチンシナへ同行した雇い主セイヤーのことであるが、「ねちやうす」はヤ
  • 月十四日平戸に〓ったことが知られる。この文書は期待していたセイヤーの船が航海に成功しなかったため、
  • 現地に殘ってセイヤーの再來を待った。同じコックスの日記で翌一六一八年三月十七日、セイヤーは肥後四官
  • イヤーの名の訛傳とは思われず、さりとて、翌年の「ふね」が首尾良く航海できなかった事情を示す語と讀む
  • ものである。文中、「かみより無事に御下り」とあるのは、コックスが朱印状の下附を願って江戸へ參府して平
  • イナ渡航のためのエド・セイヤーの通詞メルチャーより。平戸に於いて二月四日長崎より受領。」という英文(
  • コックス。
  • ○この文書は折紙で、年號を闕くが、折封上ハ書の脇の餘白に受取人コックスの「一六一八年。コーチンチャ
  • 圖書館所藏原書翰集第六册第七五〇號文書。
  • のジャンク船(船長シナ人チンパウ、舵手三浦按針)で長崎を出帆したが、颱風のため航海に失敗して同年五
  • のにも幾分無理があるので、後考に俟つ。「罷上り」とあるのは、船便では長崎より上方の方に近い平戸まで赴
  • くことを意味している。『大日本史料』
  • 第十二編之三十(二六九頁)參照。

頭注

  • ジャンク船
  • る高比良善
  • ヴ・ゴッド
  • 兵書状
  • めんちゃう
  • ギフト・オ

ノンブル

  • 一五四

注記 (38)

  • 1667,916,71,892一四めんちゃうる高比良善兵
  • 1575,1089,68,119たん
  • 1567,1478,65,912宛〔元和四年〕十二月二十六日
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  • 1600,2396,43,363○舊暦一六一九年
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  • 1556,2397,43,355月三十一日に當る。
  • 1656,1811,42,672館員エドモンド・セイヤー附通詞。
  • 1503,1085,44,914○ロンドン英國外國及連邦事務省内舊インド省
  • 976,758,45,2141フト・オヴ・ゴッド號で商務員エドモンド・セイヤーの通詞としてかの地へ向かったが、同號歸航にさいしト
  • 1020,754,46,2149發、交趾航海を無事に終えて、同年八月初め五嶋に、次いで同月十一日平戸に歸った三浦按針のジャンク船ギ
  • 1107,756,46,2150チャーは長崎の人で、コックスの日記に見る通り、一六一七年三月十九日平戸を、次いで二十三日河内浦を王
  • 1151,754,46,2153追記があり、三月中旬までは前年度なので、この受取日附は元和四年十二月二十九日であることが判る。メル
  • 712,758,45,2150メルチャーが交趾を去って、元和四年末(一六一八年二月初)に長崎に「歸朝」したことをコツクスに報じな
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  • 756,752,44,2129月十四日平戸に〓ったことが知られる。この文書は期待していたセイヤーの船が航海に成功しなかったため、
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  • 361,754,44,744くことを意味している。『大日本史料』
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