『大日本史料』 1編 14 天禄 3年 7月~天延2年3月 p.107

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人ありかたく思召、念佛彌御つとめなり、, 一瓢鐘をたゝき、和讚稱名念佛を執行して、それより四十八夜の寒中の別行をこたら, 念佛を弘めんと思召、定盛法師に仰せられて云、汝是より都に留り、彌念佛を勤め、, て、出羽奧州に至り説法念佛をすゝめ給へは、教にしたかふ者數をしらす、時に天祿, す、洛中洛外を晝夜ともに順廻して、行者茶筌一瓢鐘を叩、衆生の煩惱の眠りを覺し、, は、無量の聖衆來迎あり、音樂天に響き、虚空に花ふり異香薫し、氣かさなる時に香, 有縁無縁の衆生をすゝめ、後世菩提のはけみ懈怠有へからすと宣ふ、定盛なみたを流, 置し、左右に地藏毘沙門天の尊像を作り奉り、霜月十三日に宗派を集め法事を勤め、, 三年九月十一日、奧州會津黒川にて臨終の時、上人淨衣を著し、香爐を持端座し給へ, 上人、出羽奧州二ケ國は夷の國、佛教いたる事まれなり、上人是を憐み、かしこに行、, し、上人の言葉を背かすして都に留りぬ、時に上人康保二年霜月十三日に平安城を出, 雲の上に光明輝き、聖衆來迎し音樂耳にみち、紫雲西山にたなひき異香薫したり、上, 烟空にみちたり、御年七拾歳御入滅なり、則八葉寺に葬り、, 上人の教をたかべす、定盛法師洛陽に有て、市中道場極樂院に御開山上人の御影を安, 略ス, ○繪, ○繪, 略ス、, 竹内御門跡天松院二品法親王御筆, 念佛ヲ勤メ, 會津黒川ニ, テ寂ストノ, 都ニ留メテ, 弟子定盛ヲ, シム, 説, 天祿三年九月十一日, 一〇七

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  • 略ス
  • ○繪
  • 略ス、
  • 竹内御門跡天松院二品法親王御筆

頭注

  • 念佛ヲ勤メ
  • 會津黒川ニ
  • テ寂ストノ
  • 都ニ留メテ
  • 弟子定盛ヲ
  • シム

  • 天祿三年九月十一日

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  • 一〇七

注記 (28)

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