『大日本史料』 4編 1 文治元年11月~3年8月 p.37

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〓ろらす候、國をも四五箇國よせさを給て、彼官兵をもて攻候へきかとそ, ん程に、一人もある間敷そ, も湯淺の勢、神崎尾藤太舍弟尾藤次聟に藤波十郎、其養子に泉源太、源三兄, ての〓へて有へき、勢をものほせ、國をもよすへけれとも、籌山海をよく守, 衞門尉か甲の鉢付の板を、主を籠て射返したり、是を寄手の兵とも見て、す, 申ける、鎌倉殿、〓仰られけるき、官兵乃云甲斐なきにこそあれ、始終きいか, 弟、岩殿三郎宗賢れんとツふ、一人當千の兵とも楯籠たる間、たやすくせめ, 護して、山賊海賊をとゝむへし、國を守護をは、凶徒兵糧盡て、一人二人おち, 落し難し、湛増頼み來たる侍、須々木五郎左衞門尉とツふ者、人にも勝て進, すみたゝかはす、總て三月乃間、八箇度の戰に、熊野侍郎等已下、多くうたれ, にたり、湛増、鎌倉殿へ申たるは、今は官兵乃力盡て候、湛増はかりにては叶, 城の内、岩村の城に五百餘人楯籠る、此外湯淺か家子郎等數をしらす、中に, 出責戰けるを、尾藤太中差の十五束あるを、飽まて引そはなつ矢に、五郎左, 小松殿公達、降人たちをは宥め申, 文治元任十二月十七日, 國ノ費人ノ煩ナルヘシ、楯籠所ノ凶徒ハ、定テ海, ○參考源平盛衰記ニ、一本佐野本云、鎌倉殿、其條, 八坂本、如白本東寺本、南都本ニハ仍浦々, 山ノ盜人ニテ有ラン、山賊海賊キヒシフ守護シテ城口ヲ固テ守ル〓シト, 宣ゲル、其定ニシタリケレハ、實ニモ後ニ人一人モナカリケリ、トアリ、又, 湊勺ヲ指塞テ、兵粮攻ニ攻ケレハ、トアリ, 文治元年十二月十七日, 三七

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  • 國ノ費人ノ煩ナルヘシ、楯籠所ノ凶徒ハ、定テ海
  • ○參考源平盛衰記ニ、一本佐野本云、鎌倉殿、其條
  • 八坂本、如白本東寺本、南都本ニハ仍浦々
  • 山ノ盜人ニテ有ラン、山賊海賊キヒシフ守護シテ城口ヲ固テ守ル〓シト
  • 宣ゲル、其定ニシタリケレハ、實ニモ後ニ人一人モナカリケリ、トアリ、又
  • 湊勺ヲ指塞テ、兵粮攻ニ攻ケレハ、トアリ

  • 文治元年十二月十七日

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  • 三七

注記 (23)

  • 929,757,65,2010〓ろらす候、國をも四五箇國よせさを給て、彼官兵をもて攻候へきかとそ
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