『大日本史料』 4編 9 建永元年5月~承元2年2月 p.641

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ちに仰られけるは、路次にあふ所の小童、眼より光をはなつ、いかにもたゞ, りけり、月輪殿きこしめしおどろきて、醫師をめされ、種々の療方をつくさ, 京極殿うの銘をかゝせ給て、安居院の法印聖覺, るといへとも、治術かなはさりしかば、とりわき冥助をあふがれ、御祈請あ, ものにあらざる〓をしりぬ、これによりて禮をなしきとそ仰られける、月, よしを申あぐ、御禮儀ありてすぎさせ給ふ、供奉の人々存外の思をなす、の, 輪殿の御歸依あさからざりけるも、彼御物語を、御耳の底にとゞめられけ, るゆへにやありけん、とおぼつかなし、, らむために、詫摩の法眼澄賀におほせて、善導和尚の眞影を圖繪せられ、後, ○コノ後、念佛受戒ノコト、屡々玉葉ニ見エタリ、今之ヲ略ス、, に、御車をとゞめられて、いつくの人ぞと御尋ありければ、をくりの僧〓の, の御出にまいりあひたてまつる、小兒馬よりおりて、道の傍に侍, 十三日に、千重の霞をわけて、九禁の雲にいるつくりみちにして、法性寺殿, 十五歳、近衞院御宇久安三年の春二月, 〔法然上人行状畫圖〕二童子〓, 〔法然上人行状畫圖〕十七元久二年八月に、上人〓病をわづらひ給事あ, に、御導師參勤すへき, 忠通公干, 僧都, 時攝政, 于時, ○源, 空, 圖ヲ描カ, 導和尚ノ, ヲシテ善, 詫摩澄賀, 兼實ト法, 然, シム, 承元元年四月五日, 六四一

割注

  • 忠通公干
  • 僧都
  • 時攝政
  • 于時
  • ○源

頭注

  • 圖ヲ描カ
  • 導和尚ノ
  • ヲシテ善
  • 詫摩澄賀
  • 兼實ト法
  • シム

  • 承元元年四月五日

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  • 六四一

注記 (32)

  • 1215,646,57,2198ちに仰られけるは、路次にあふ所の小童、眼より光をはなつ、いかにもたゞ
  • 628,646,58,2207りけり、月輪殿きこしめしおどろきて、醫師をめされ、種々の療方をつくさ
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