『大日本史料』 5編 3 嘉禄元年是歳~安貞元年6月 p.888

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門の所司專當等を遣して、大谷の廟堂をこぼち捨べきよしきこえしかば、, を停廢すべし、就中隆寛律師、我山の學者として、同宗をすて、專修をたつる, 京都の守護修理亮平時氏使者をさしつかはす、頓宮の内藤五郎兵衞尉盛, こと不可然、念佛宗の張本を遠流せらるべし、其根本たるによりて、すべか, と名く、隆寛律師是を見給て、先師上人の素意をあらはさんが爲に、顯選擇, を作て、定照が難破をくつがへして、汝が僻破のあたらざる事、たとへば暗, 天の飛礫のごとしと、あざむきかゝれたりけるを、定照遺恨となしけるあ, らくまづ源空が大谷の墳墓を破却して、彼死骸を、賀茂川にほりながすべ, て申ける、たとひ勅許ありといふとも、武家にふれずして、左右なく狼藉を, まり、上人往生の後、十六年を經て、後堀川院の御宇、嘉祿三年, 徒かたらひ、天下皆一向專修に趣て、顯密の修法すたれなんとす、專修念佛, の夏の頃、衆, 圓基、攝政殿の御兄なり、衆徒の濫訴すでに勅許ありければ、六月廿二日、山, いたす條、甚以自由也、しばらくあひしづまりて、穩便の沙汰をいたすべし、, 政法師, 子息一人を相具して罷向ふ、頓宮の入道、山門の使者にむかひ, き由、衆徒嗽々の群議におよべり、攝政は猪熊殿、家實、座主は淨土寺の僧正, 西佛, 法名, 亥、, 丁, ヲ怨ふ, 定昭隆寛, 念佛宗ノ, 張本ヲ配, 流スベシ, 安貞元年六月二十二日, 八八八

割注

  • 西佛
  • 法名
  • 亥、

頭注

  • ヲ怨ふ
  • 定昭隆寛
  • 念佛宗ノ
  • 張本ヲ配
  • 流スベシ

  • 安貞元年六月二十二日

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  • 八八八

注記 (28)

  • 616,641,70,2239門の所司專當等を遣して、大谷の廟堂をこぼち捨べきよしきこえしかば、
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