『大日本史料』 6編 3 延元元年正月~建武3年12月 p.256

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度の合戰に爲勞れたる事なれは、やかて追て攻下る事こそ叶はさらめ、尊, かし、, のひ〳〵の御沙汰には及はれしにやいと口をし、尊氏卿ハ夫とは引かへ, て、去年御上洛の御途中より、はやく九國の諸大名を語らひ付給ひ、また此, 氏か落下るを討捕へきよし、はやく西國の宮方へ仰觸られんことは、官軍, 春鎭西御下向の御道すからも、御跡を防がれんか爲、所々に御勢をのこし, 尊氏、攝津多田院ヲシテ、戰捷ヲ祈ラシム、, おかれ、御先途の國々へも、いそき御味方へ參るへしと、御途中より仰觸ら, 上洛の跡になと、やう〳〵阿蘇には到著したらんとおもふ也、尊氏卿の兵, の歸路をまたるゝにも及ましき事なるを、いかなる朝議ありて、かくまて, 庫を落給ひしことは、二月十二日の事にて、其折、官軍も去年の東征已來、數, れたりしをおもへは、のこるくまなく行屆かれたる御成敗にてありしに, 攝津國多田院事、爲曩祖滿仲氏寺之間、源家之歸依所異他也、然者今度之義, 兵遂本意、將亦天下太平、四海安全、當家繁榮、子孫長久之旨、可被致懇祈之状, 〔多田院文書〕と, )攝津, 今度ノ義, 兵, 延元元年三月二十五日, 二五六

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  • 延元元年三月二十五日

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  • 二五六

注記 (20)

  • 1605,651,74,2217度の合戰に爲勞れたる事なれは、やかて追て攻下る事こそ叶はさらめ、尊
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