『大日本史料』 6編 7 康永元年正月~康永2年12月 p.757

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新座ヲシテ故ノ如ク業ヲ營マシム、, は緑川より南、宇土盆城八代以下を南郡といひし事しるかり、, ノ營業ヲ停ム、感神院所司、其不當ヲ朝ニ訴フ、是日、使廳更ニ之ヲ裁シ、, 八日天晴、綿里商人等事社解書之、遣執行許、即擧状出之、職事藏人大進俊ヽ, を薩摩に發向するをさゝへしめられんためにてありしなり、當時の文書, ともに、南郡とあるは、大かた宇土以南をさしていひたるやうなれとも、今, 可叶之由粗問答了、, 是ヨリ先キ、北朝〓非違使廳、祇園神人本座綿商ノ訴ニ依リテ、新座綿商, しめきたるなるへし、しかるを惟澄日向に發向して、薩摩の後詰すへきよ, し被仰下しかは、日向にても高知尾のものとも、はやく惟澄に語はれて、宮, 年は宇土八代の間ニては、惟澄か軍したる事はなかりしかは、南郡といふ, 方にまいりてありし故、惟澄は其便宜に就て日向に攻入て、其國の凶徒等, の事を催促したりし故、兩國の凶徒等また蜂起して、薩摩に後措せんとひ, 〔祇園執行日記〕一七月七日天晴、綿里商人等來、交名注進事談合了、四十, 餘人云々、年貢人別百廿文、廿文寄方分、先例之由申之間、於此料足者社役不, キテノ考, 南郡ニツ, 南朝興國四年北朝康永二年十一月八日, 七五七

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  • キテノ考
  • 南郡ニツ

  • 南朝興國四年北朝康永二年十一月八日

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