『大日本史料』 8編 22 長享2年5月~同年7月 p.226

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き鏃をみかきけれは、或は定正の智慮のみしかきをみかきりて、山の内に屬するも有、, 懸て、扇か谷にそ歸られける、, の光武の〓とりし所、敵に味方を見合すれは、中へきにあらすといへとも、定正すこし, ともいかゝはしたりけん、心をくれしてすゝむへく見えてすゝます、定正の兵共是に機, 百よ騎にてはせ向はる、軍は勢の多少によらす、たゝ謀の得否にありといふ事は、後漢, に出張し、只小責合はかりにて、兩陣相引に退そき歸る、延徳元年二月五日、山内上杉顯, れて敗北す、定正もさすかに小勢なりけれは、追すてゝ引返し、打取所の首七十餘を切, あるひは顯定の所行なさけなしとて、扇谷に屬するもあり、兩家立別れ、敵味方刄をあ, 定、子息憲房兩將として、一千餘騎を率して、相州の眞卷原に出張す、扇谷上杉定正二, も機をのまれす、些とも見つくろふ所もなく、相かゝりにむすと攻て、一矢射ちかふる, ほとこそ有けれ、みな弓矢をは弛すてゝ打物に成て、眞黒にそ懸たりける、顯定の軍兵, を得て、曳や聲をいたし、手痛く切まくりしかは、顯定の一千よ騎堪すしてつゐにくつ, らそふ、同年十一月三日、兩上杉の大將相州菅谷原に對陣す、長享二年の春、武州松山, 長尾景春歸參扇谷殿付菅谷原合戰, 定正ノ軍討, ハ延徳元年, 須賀谷ノ戰, 實蒔原及ビ, トノ説, 取ル首七十, 餘, 長享二年六月十八日, 長尾景春歸參扇ハ谷殿付菅谷原合戰, 二二六

頭注

  • 定正ノ軍討
  • ハ延徳元年
  • 須賀谷ノ戰
  • 實蒔原及ビ
  • トノ説
  • 取ル首七十

  • 長享二年六月十八日
  • 長尾景春歸參扇ハ谷殿付菅谷原合戰

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  • 二二六

注記 (24)

  • 1776,599,60,2227き鏃をみかきけれは、或は定正の智慮のみしかきをみかきりて、山の内に屬するも有、
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