『大日本史料』 8編 23 長享2年7月~同年11月 p.441

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立すくみたる所を、定正・長尾入道下知して、荒手を入替、急に戰かふ、顯定の軍兵、後, ものか放つ矢に、臼井彦七か内甲を箆深に射させ、目くれ心きえて、太刀を杖につき、, せめ戰かふ、天地をひゝかす時の聲、山河にみつる矢さけひの音、旗の手色をましへて, ふり、四方八面に切てまはる、此きつさきにあたる者、あるひは馬の諸膝なかれ、落る, をへたてゝ、足輕を出して責合つゝ、漸々に攻よせ、双方ぬきつれて、入亂れ、散々に, 所をくひをとり、或は甲の眞甲を二つに打破、尻居に成て死するもあり、此いきをひに, 辟易して、定正の軍兵四度路に成て開きなひく、長尾入道か家の子に、淺間小次郎と言, は、錦をさらすかとうたかひ、刄の光り目に映して、尾花の末より猶しけし、顯定の兵, に臼井彦七といふもの、洗革の大よろひに、五枚甲の緒をしめ、四尺あまりの太刀を打, 高見原に出張あり、上杉民部太輔顯定此よしを聞て、三千餘騎にて打立、兩陣の間二町, も、分國廣けれは、重て大勢を催し退治せしに、最容易るへしとそ申ける、, 同しき年十一月三日、上杉修理太輔定正・古河公方政氏公、二千よ騎を率して、武〓の, されは山内方は何も大名高家にて、軍勢澤山なれは、縱軍に負る事度々なりといへと, 〔鎌倉管領九代記〕五古河公方興力扇谷附武〓高見原軍, ○相州兵亂, 記異事ナシ, 顯定ノ部下, 臼井彦七奮, 顯定ノ軍三, 千餘騎, 戰ス, スル説, 定正政氏ノ, 軍二千餘騎, 延徳元年ト, 長享二年十一月十五日, 四四一

割注

  • ○相州兵亂
  • 記異事ナシ

頭注

  • 顯定ノ部下
  • 臼井彦七奮
  • 顯定ノ軍三
  • 千餘騎
  • 戰ス
  • スル説
  • 定正政氏ノ
  • 軍二千餘騎
  • 延徳元年ト

  • 長享二年十一月十五日

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  • 四四一

注記 (27)

  • 295,609,69,2254立すくみたる所を、定正・長尾入道下知して、荒手を入替、急に戰かふ、顯定の軍兵、後
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