『大日本史料』 9編 2 永正6年10月-永正7年12月 p.569

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大變に至るをきに有らす、此事後に愚按有り、, 伯與兵衞、河野某、, を執へ送る事無く、朝命に逆ひしをもつて、此れと好みを絶とのみいひ, 歸り、此事を報せしめ、此月十九日、進むてび年等と熊川の地に戰ふ、盛弘, て、一語の此時我か州兵を遣らましと云ふ時は、我か州より彼の國を撃, しいる時、鹽浦之居倭此之變を聞き、本島え逃け歸りしに、本島速に此れ, 云へとも、其一時の形勢を以て此れを料るに、獨り大内船の事により、此, 道絶へぬ〓し、然かも又終に我か州と通交を絶つに至り難きを以て、此, む、盛弘其敵す〓からさるを悟り、糸瀬播磨をして、廿三人を領し、我州に, たれしと云ふの義に至る也、然る時は、彼國再ひ我か州と通交す〓きの, 從兵と皆此れに死すと見へたり、此兩説いつれか是たるを詳に爲すと, 李友曾を〓す、爰において、彼れ防禦使柳聘年、黄衡をして、此れを防かし, 按こ、庚午の變之事、彼國の書に、釜山、薺浦之居倭亂を興し、熊川、釜山を陷, きひ、朝鮮に至り、我人の三浦に居る者と同しく、熊川等の鎭を撃ち、僉使, 上野某等凡三百餘人をひ, 内、岩崎甚七左衞門、川野甚兵衞、畑島式部、三牧野浦權四郎、中里左衞門、佐, り、河野平左衞門盛親ろ事也, 扱、朝鮮國王之書こ、盛親と有, 盛弘戰死, 兩説ニツ, キヲ義盛, 播磨ヲシ, イテノ批, ニ報ゼシ, テ勝算ナ, 盛弘糸瀬, 評, 永正七年四月四日, 五六九

割注

  • り、河野平左衞門盛親ろ事也
  • 扱、朝鮮國王之書こ、盛親と有

頭注

  • 盛弘戰死
  • 兩説ニツ
  • キヲ義盛
  • 播磨ヲシ
  • イテノ批
  • ニ報ゼシ
  • テ勝算ナ
  • 盛弘糸瀬

  • 永正七年四月四日

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  • 五六九

注記 (29)

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