『大日本史料』 9編 3 永正7年是歳-永正9年3月 p.384

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

はす責らきはる間、城の内にも、こゝをとんとゝ戰ひけまは、その日は暮, 因幡守、荒木大藏等始そ三十餘頭差下さる、此人々おもひ切て、同七月廿, 頃、播磨國を立て、同八日九日に鷹尾城を取卷、さろしを谷、高き峯ともい, 六日に、蘆屋河原にそ合戰あり、又鷹尾〓り河原林手を合そたゝかひは, 兵河原林對馬守正頼は、攝州蘆屋庄の上鷹尾城に楯籠、淡路守殿この城, 衆ハ此合戰の事を聞、思案に及はれく〓とも、一度約束の上は、八月の初, るに、京高國方討勝て、淡路衆首百餘り討取て、京勢は則明る廿七日に上, 高國聞召、今度は馬廻り柳本又次郎入道宗雄、子息波多野孫右衞門、能勢, 洛して、此由申上らきくれは、高國聞召、御感なろ〳〵申計なし、去間、播磨, て、寄手も麓へ引、しろめ共、城乃中に此分ならは叶はしとおもひ、同十日, 被責へしとて、灘深井と云所に陣取給ふ、此由正頼より京高國へ注進申, の夜半に城あけに々り、播磨勢は悦て則伊丹の城へ取懸〓る, セシ人ノ哀ソカシ、彼正頼ハ豐嶋里ニ常ノ宿所ハ在ナカラ、城ナクテハ叶, 〔瓦林政頼記〕去間、彼下郡ノ大名ト前ニ聞ヘシハ、瓦林對馬守平正頼ト申, 水正八年七月十三日, ○下略、重, 編應仁記、, 足利季世記, 異事ナシ、, 城ヲ援助, ノ戰, 高國鷹尾, 〓屋河原, 尚春敗ル, ス, 三八四

割注

  • ○下略、重
  • 編應仁記、
  • 足利季世記
  • 異事ナシ、

頭注

  • 城ヲ援助
  • ノ戰
  • 高國鷹尾
  • 〓屋河原
  • 尚春敗ル

ノンブル

  • 三八四

注記 (26)

  • 816,715,59,2117はす責らきはる間、城の内にも、こゝをとんとゝ戰ひけまは、その日は暮
  • 1507,710,59,2122因幡守、荒木大藏等始そ三十餘頭差下さる、此人々おもひ切て、同七月廿
  • 930,708,60,2115頃、播磨國を立て、同八日九日に鷹尾城を取卷、さろしを谷、高き峯ともい
  • 1394,711,59,2113六日に、蘆屋河原にそ合戰あり、又鷹尾〓り河原林手を合そたゝかひは
  • 1852,709,60,2112兵河原林對馬守正頼は、攝州蘆屋庄の上鷹尾城に楯籠、淡路守殿この城
  • 1044,709,59,2120衆ハ此合戰の事を聞、思案に及はれく〓とも、一度約束の上は、八月の初
  • 1269,717,59,2111るに、京高國方討勝て、淡路衆首百餘り討取て、京勢は則明る廿七日に上
  • 1621,711,59,2121高國聞召、今度は馬廻り柳本又次郎入道宗雄、子息波多野孫右衞門、能勢
  • 1158,715,56,2114洛して、此由申上らきくれは、高國聞召、御感なろ〳〵申計なし、去間、播磨
  • 701,715,60,2116て、寄手も麓へ引、しろめ共、城乃中に此分ならは叶はしとおもひ、同十日
  • 1742,709,57,2125被責へしとて、灘深井と云所に陣取給ふ、此由正頼より京高國へ注進申
  • 587,721,61,1829の夜半に城あけに々り、播磨勢は悦て則伊丹の城へ取懸〓る
  • 240,653,64,2172セシ人ノ哀ソカシ、彼正頼ハ豐嶋里ニ常ノ宿所ハ在ナカラ、城ナクテハ叶
  • 337,597,100,2230〔瓦林政頼記〕去間、彼下郡ノ大名ト前ニ聞ヘシハ、瓦林對馬守平正頼ト申
  • 1964,705,44,376水正八年七月十三日
  • 623,2575,40,251○下略、重
  • 578,2572,41,263編應仁記、
  • 503,719,43,320足利季世記
  • 460,717,40,263異事ナシ、
  • 1750,289,42,163城ヲ援助
  • 1390,295,39,74ノ戰
  • 1797,287,37,169高國鷹尾
  • 1432,291,42,164〓屋河原
  • 1279,291,43,158尚春敗ル
  • 1713,294,33,27
  • 1964,2420,44,121三八四

類似アイテム