『大日本史料』 9編 8 永正15年6月-永正15年雑載 p.120

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條々, 何そと候共、興泰か兄弟・子孫許容ある間敷候、, して卒す、息義鑑は廿二代の家督して、父祖の遺跡を守りける、, 以了簡、竹尾新左衞門尉高名無比類候、末代及も不可有忘却候、かやうの者之子にて候, 候人、我等以神名書替候、其時彼人躰被出候、夫をきおひと候て、田原越と申山越、武經, ひの者共を、彼在所こうつさるへく候、, 条、たとい今之筑後の者共悉敵こ成候共、是又當國者をさしおかれへく候、於末世彼國, 候、然者當家諸勢、於宮地陳を付、なんき樣候つる時、惟貞計策候之処、なんしう候を、親, 一星野九郎の事、親の重泰か時、我等度々出張候へ共、手にもかゝらす候を、臼杵安藝守, す、盆國家豊饒なり、海藏寺・大智寺の建立も此時なり、永正十五年八月十一日に義長病, 籠候木山・津寺・三舟、切落候、其後野部と打入候へは、則落去候、諸軍開陳之時分、惟豊, 一阿蘇家之事、武經對當家無本之つかい、惟豊か事色々計策候といへとも、ついに無同意, 無本をたくみ候之由申候、是も自然浦部之者共敵成うせ候はゝ、辛勞したる無足ふか, 一田原親述兄弟三人之事、子々孫々及も許容有間敷候、彼田原か事は以上八代と哉らん, 〓大友文書〕, ○筑後, 四, 星野九郎, 親安ヲ諭, 阿蘇家ノ, 兄弟ノ事, ノ事, 立ス, 田原親述, 智寺ヲ建, 海藏寺大, 事, ス, 永正十五年八月十一日, 一二〇

割注

  • ○筑後

頭注

  • 星野九郎
  • 親安ヲ諭
  • 阿蘇家ノ
  • 兄弟ノ事
  • ノ事
  • 立ス
  • 田原親述
  • 智寺ヲ建
  • 海藏寺大

  • 永正十五年八月十一日

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  • 一二〇

注記 (30)

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  • 667,780,64,1157何そと候共、興泰か兄弟・子孫許容ある間敷候、
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