『大日本史料』 9編 13 大永元年5月-大永元年12月 p.339

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齋三家の人々に、件のよしを語ける、三千餘人の武士とも、近隣の在家少々くつし持運, 駿河守に、明日は惣責の由、あの大勢にて今日よりうめ受入候て、平地と成り可申候、, 郎爲先三百餘騎、是も子刻に打出、寄手のものともを夜討にして、城へ楯籠らんといそ, 烏山へ落て合戰可仕候とて、落支度を仕たりける、其夜の子の剋計に浦山に登りて、志, の勢といふこへすれは、さては雪齋めにかたられぬると、打笑て、同道して烏山へそ落, 鳥に出おち行ける、烏山にては、川井の後攻として、興野長門守子息玄番義忠・森田九, きける、路次にてはたと行合ける、大膳掾前出、たれなるらんと問は、是は川井の後攻, 行ける、夜明れは、寄手は興聲あけてせめいりけれとも、人壹人もなかりけれは、雪, 齋か計略、楠多門兵衞か級もかくやとこそはほめたりける、三家の人々勝に乘て、烏, にて候わす、御志の趣、傍輩ともに御物語趣可申聞候と、しきたひしてこそ返しける、雪, 山を責落しと申ける、徳雪齋此度はまつ御引退候へ、かほとの小城をたに十日餘り相戰, ひ、堀にうめ深田に入、せめ又度とそみゑいにける、城の内にて此よし聞、出雲守、大膳・, 只今まて三百餘人にて三千餘騎を防き候事、今夜落候とも、天下の嘲哢は余も候まし、, は、出雲聞て、御尤に存候、乍去此城におひて討死可仕と兼て心得候程に、今更可驚事, 大永元年十一月四日, 三三九

  • 大永元年十一月四日

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  • 三三九

注記 (16)

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