『大日本史料』 10編 1 永禄11年8月~同12年2月 p.471

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を拜賜し、幼年たるにより、忠勝に屬せらる、, ら濱松に入とてまつらむと爭論し、つゐに泰顯かために〓害せらる、こ, 島の郷等のうち、五百五十三貫文の地をたまひ、御判物及び無銘の御刀, により、か乃地をのかれいて、濱松にいたり、本多忠勝につきて、其よしを, 東照宮に言上するのところ、十二年二月二日、めされて、舊領遠江國里郷, 高福寺に葬る、法名清空、, のとき家臣小野田彦右衞門某、すみやかに鎗を把て、泰顯を〓〓し、たゝ, 二月、父時成〓害せらるゝのよし、家臣小野田彦右衞門某より告きたる, 永祿九年、六歳のとき、人質と〓りて、今川家に赴き、駿河國に在、十一年十, 藤周防守某と議して、謀たてまつらむとす、時成はこれに與せす、ひたす, ちに安間村の御陣營に馳まいり、この始末を言上す、時成は同國赤地乃, く時成をうらむ、こ乃月、泰顯、東照宮遠江國に御出馬あるのよしを聞、新, 〔濱松御在城記〕一同月十八日ニ、權現樣遠州安間村ニ御陣ヲ被居候處ニ、, 引間之臣江間安藝守、同加賀守ヲ〓, 一成, 永祿十一年十二月十八日, ○下, 彌三、與右衞門、, 母は某氏、, 陣之由、參仕村候而、委細可承合事、, 同近所端上輪二テハ、法花寺二御宿, 略, 家康一成, ニ所領ヲ, 與フ, 永祿十一年十二月十八日, 四七一

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  • ○下
  • 彌三、與右衞門、
  • 母は某氏、
  • 陣之由、參仕村候而、委細可承合事、
  • 同近所端上輪二テハ、法花寺二御宿

頭注

  • 家康一成
  • ニ所領ヲ
  • 與フ

  • 永祿十一年十二月十八日

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  • 四七一

注記 (27)

  • 502,791,56,1273を拜賜し、幼年たるにより、忠勝に屬せらる、
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