『大日本史料』 10編 1 永禄11年8月~同12年2月 p.847

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きび數せり合有、其比信長に失面目る、浪人して駿河へ下、氏眞へ出、御供し, 加勢を可申とて、此よし申上ければ、尤と被仰そ、御加勢を被指遣給へば、三, せられ間敷とて、兩人組替く此由申ければ、三郎左衞門驚て、其儀ならば御, こし、鐵炮にあたりて死たるひへ頸に御座候と申處、内藤四郎左衞門高名を, 迄押込て、塗ちがへにて討捕て除、其外高名は數多有、其時謀久原威言に申、, して來りく申は、高名は仕候へとも、今日の高名は某を初、悉ひへ頸にて御, 郎左衞門で二ノ丸へ下て、本城へ御加勢の衆をうつせば、無何事も、然あい, て今城に籠居たる衆之内に討死有、伊藤武兵衞をば謀久原次右衞門が討, だ淡路には腹を切せ、彈正は三郎左衞門が甥なれば押除ける、それより懸, 〻今日の高名にくみ打は無一人し、御身討たるも、青皮の具足を著く鐵〓, にあたり、死く臥たるを討給ふ也、今日の高名は悉ひし頸也、我等が取とる, 捕、大屋七十郎をば大久保次右衞門が討捕、小坂新助は大手のぬりちがへ, 今日はくみ打に仕たると申上ければ、大久保次右衞門が申けるは、いや〻, 川へ押寄、天王山に御旗を立させられ給へば、城よりも爰はの者共が出く、, と云、又は主なれば、方々以く如何に知行を取、輙身を過るとても、腹をば切, 戰死者, 氏眞方ノ, 政ヲ處分, 丸城ヲ固, 家康部下, 城ヲ攻ム, 宗能久野, 家康懸川, 守ス, 宗盆同宗, 宗能二ノ, ノ高名, ス, 永祿十二年正月二十三日, 八四七, グ

頭注

  • 戰死者
  • 氏眞方ノ
  • 政ヲ處分
  • 丸城ヲ固
  • 家康部下
  • 城ヲ攻ム
  • 宗能久野
  • 家康懸川
  • 守ス
  • 宗盆同宗
  • 宗能二ノ
  • ノ高名

  • 永祿十二年正月二十三日

ノンブル

  • 八四七

注記 (31)

  • 1222,679,63,2202きび數せり合有、其比信長に失面目る、浪人して駿河へ下、氏眞へ出、御供し
  • 1681,680,62,2202加勢を可申とて、此よし申上ければ、尤と被仰そ、御加勢を被指遣給へば、三
  • 1792,685,61,2199せられ間敷とて、兩人組替く此由申ければ、三郎左衞門驚て、其儀ならば御
  • 405,677,62,2206こし、鐵炮にあたりて死たるひへ頸に御座候と申處、内藤四郎左衞門高名を
  • 873,678,63,2221迄押込て、塗ちがへにて討捕て除、其外高名は數多有、其時謀久原威言に申、
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