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と決意せり、, スより、パードレ・ベルシヨール・デ・フイゲイレドに贈りし書翰, 又多くは手に竹の杖を持ちて、作業の指圖を爲せり、工事は日本に於ては、, 嘗て見たることなき石造とするに決せしが、之に用ふる石なきを以て、多, 院に宿泊せしめ、公方樣嗣子なかりしが故に、坊主なりし此弟を立てゝ、往, 時の名譽を與へ、又前の公方樣の〓されたる宮城には、二つの大なる堂宇, 建築しありしが、今日まで日本に於て見たることなき城を、此處に築かん, 一五六九年六月一日, 從事せり、皆輕袗及び皮の短きカバヤを著し、彼は工夫長として鍬を取り、, 彼は先づ堂宇を破壞せしめ、四街四方の地所を收容し、工事の爲め、日本の, く〕約十萬人を率ゐて、彼を都の市に送り、公方樣及び士卒を市の内外の寺, 諸王侯及び武士全部を使役し、通常二萬五千人、少き時も一萬五千人之に, 〓されたる公方樣の弟、彼に救を求めたれば「前の書翰に述べたる如, 數の石像を倒し、頸に繩を附けて、工事場に引かしめたれば、都の人偶像を, 附、都發、パードレ・ルイス・フロイ, の數節、, 永祿十二年四月十四日, ○永祿十二年五, ドハ、當時豐後府内ニ在リ、八月、, 月十七日ニ當ル, ○フイ, ○上, 大村ニ到リ、尋デ口ノ津ニ移ル, ケイレ, 略, 二條第築, 信長工事, ヲ監督ス, 體ヲ破壤, 義昭入京, 石造ノ佛, 造, ス, 永祿十二年四月十四日, 三五六
割注
- ○永祿十二年五
- ドハ、當時豐後府内ニ在リ、八月、
- 月十七日ニ當ル
- ○フイ
- ○上
- 大村ニ到リ、尋デ口ノ津ニ移ル
- ケイレ
- 略
頭注
- 二條第築
- 信長工事
- ヲ監督ス
- 體ヲ破壤
- 義昭入京
- 石造ノ佛
- 造
- ス
柱
- 永祿十二年四月十四日
ノンブル
- 三五六
注記 (35)
- 876,668,54,347と決意せり、
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- 295,674,65,2202嘗て見たることなき石造とするに決せしが、之に用ふる石なきを以て、多
- 1221,670,66,2203院に宿泊せしめ、公方樣嗣子なかりしが故に、坊主なりし此弟を立てゝ、往
- 1105,669,65,2206時の名譽を與へ、又前の公方樣の〓されたる宮城には、二つの大なる堂宇
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- 1805,834,56,602一五六九年六月一日
- 525,670,65,2219從事せり、皆輕袗及び皮の短きカバヤを著し、彼は工夫長として鍬を取り、
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- 1336,676,61,2202く〕約十萬人を率ゐて、彼を都の市に送り、公方樣及び士卒を市の内外の寺
- 642,670,65,2203諸王侯及び武士全部を使役し、通常二萬五千人、少き時も一萬五千人之に
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