『大日本史料』 10編 3 永禄12年7月~元亀元年正月 p.329

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らるゝものなり、, 同年十二月、信長卿織田掃部助に命じ、南方の諸城をやぶらんとし給ふ、す, 此歌をもつく其さかひ決定す、, を以く定めんとさらるゝに、ある老人すゝみ出、古歌を引て云、, が館に旅宿す、茶箋丸に仕へく後、瀧川三郎兵衞尉雄親と名のる、秀吉の治, なりしが、此時還俗し、一盆同名と成く、瀧川兵部少輔と號し、しばらく一盆, 曾原籠城、并同く城責の事, 植兩人發明にして武道の達人するゆへ、信長卿これらを賞して、信雄に付, り、しかるを勢州にをもとき、木造家につかへて、終に其家長となる、瀧川、柘, 世にいたつそ受領し、羽柴下總守とあらたむ、扨又柘植三郎左衞門尉なに, がしは、元來伊賀の住人にして、先祖は平家の侍彌平兵衞尉宗清が末孫な, 風早の池の流れのしたゞりは安濃と一志の堺なりきり, 信長卿源城寺、柘植三郎左衞門尉をもつて茶箋丸に付らる、源城寺元出家, 汰す、其比信雄、信包兩人勢州南北のさかひをあらためらるゝとき、雲出川, 瀧川、柘植が事, 瀧川三郎, 信長南伊, 兵衞尉雄, 勢ヲ定ム, 親, 永祿十二年十月十一日, 三二九

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  • 瀧川三郎
  • 信長南伊
  • 兵衞尉雄
  • 勢ヲ定ム

  • 永祿十二年十月十一日

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  • 三二九

注記 (22)

  • 501,658,47,494らるゝものなり、
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